1970年の大阪万博の時にはまだ小学生だったか。左翼の家庭はこうした華やかな行事には大概否定的で、この年京都観光はしたが大阪までは行かなかった。
あの頃は万博そのものが日本人にとって初めての経験で、大行列をしてはいろいろと大騒ぎしたが、あのあと何とか博というのがいくつもあって物珍しさもなくなり、今度の大阪万博もあの時のようには盛り上がらないかもしれない。
前の万博は大企業中心だったが、もっと中小企業の隠れた技術や様々なオタク文化を紹介してゆくと面白いのではないかと思う。それが日本の底力でもある。
それでは「野は雪に」の巻の続き。
二十七句目。
湯婆の湯もや更てぬるぬる
例ならでおよるのものを引重ね 正好
「例ならず」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、
「① いつもと違う。珍しい。 「この女、-・ぬけしきを見て/宇津保 嵯峨院」
② 体がふつうの状態ではない。病気や妊娠をいう。 「 - ・ぬ心地出できたり/平家 6」
とある。
「およる」は、weblio辞書の「三省堂大辞林」には、「その人を敬って寝ることをいう語。おやすみ。」とある。
病気といってもそんなに深刻なものではなく、いつもとやや違う、何かおかしいくらいの状態を「例ならで」というのであろう。
『源氏物語』桐壺巻の「いとあつしくなりゆきもの心ぼそげにさとがちなるを」の所の古註に「異例」とあるのも、重病というほどではなく、傍から見て様子が違うというような意味なのだろう。「もの心ぼそげ」も気に病んだ状態、今でいえばノイローゼのような精神的なもので、里へ引き籠りがちになったというニュアンスと思われる。
深刻なものではないから、夜着を着重ねても、湯たんぽの湯は夜更けにはぬるぬるになってもただ寒いというだけでそれほど問題ない。
二十八句目。
例ならでおよるのものを引重ね
あふも心のさはぐ恋風 蝉吟
何となくいつもと様子が違うのは、病は病でも恋の病だとする。
二十九句目。
あふも心のさはぐ恋風
恨あれば真葛がはらり露泪 一笑
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注で、
百首歌を奉ったとき詠んだ歌
わが恋は松を時雨の染めかねて
真葛が原に風さわぐなり
前大僧正慈円
の歌を引いている。
その「真葛が原」に「はらり」と落ちる泪を掛詞にするのだが、「はら」と「はらり」は意味の融合が不十分で半ば駄洒落になり、それが俳諧らしい笑いとなる。
「恨み」も葛の葉の「裏見」に掛かっているが、こちらは、
題しらず
嵐吹く真葛が原に鳴く鹿は
恨みてのみや妻を恋ふらむ
俊恵法師
の頃からの伝統的な掛詞で、笑いには結びつかない。
三十句目。
恨あれば真葛がはらり露泪
秋によしのの山のとんせい 一以
吉野葛の縁で吉野に展開するが、花のない秋の句なので、山の遁世となる。西行の俤もあるが、物でも付いているので俤付けではない。
三十一句目。
秋によしのの山のとんせい
在明の影法師のみ友として 宗房
「影法師」はフォントが見つからないでこの字にしたが、魍魎の鬼のないような字になっている。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注にもあるとおり、
朝ぼらけ有明の月とみるまでに
吉野の里にふれる白雪
坂上是則(古今集)
の歌が「吉野」と「有明」が付け合いになる證歌となっている。
李白の「月下独酌」に、
挙杯邀明月 対影成三人
盃を挙げて月を客として迎え、影と対座して三人となる。の句があり、「影法師」はそのイメージと思われる。
芭蕉の後に『冬の日』の「狂句こがらし」の巻でも、
きえぬそとばにすごすごとなく
影法のあかつきさむく火を燒て 芭蕉
の句を詠んでいる。吉野の遁世に有明の影法師が出典にべったりと付いているのに対し、「消えぬ卒塔婆」の「暁」に火を焚いた「影法」は蕉風確立期の古典回帰とはいえ、出典とは違う独立した趣向を生み出している。
三十二句目。
在明の影法師のみ友として
未だ夜深きにひとり旅人 正好
朝未明の旅立ちは杜牧の『早行』を思わせる。
ただ、『早行』とは違って一人旅立つ旅人には、有明の月の落とす影が唯一の友となる。
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