この前は日本で大変な水害があったが、ラオスの方も大変なようだ。テレビでもあまりやらないし、義援金の募集もまだなさそうだが、気になるニュースの一つだ。
昨日今日と暑さがやや和らいで、きっと子供の頃の夏の暑さはこんなだったのだろう。夕暮れには月が出て、大分満月が近い。ただ、満月の頃には台風が来るようで、大きな被害が出なければいいが。
今日も『続猿蓑』の夏の句からいくつか拾ってみよう。
昼寐して手の動やむ團かな 杉風
これはあるあるネタだ。団扇で扇いでるうちに眠くなって、寝落ちすると団扇を扇ぐ手が止まる。
テレビを見ながら寝落ちしたときって、なぜがテレビが消されると急に目が覚めたりする。それと同じで、手元から滑り落ちた団扇を誰かが片付けようとすると、はっと目が覚めたりして、そんな情景が目に浮かぶ。
虫の喰ふ夏菜とぼしや寺の畑 荊口
昔は農薬なんてなかったから、虫の食った穴の開いた野菜は普通のことだったのだろう。暑さでその虫食い野菜すら干からびてゆく。自分の食う野菜もさることながら、虫の食う分も気遣っちゃうあたりが「寺の畑」だ。生類に哀れみを。
川狩にいでゝ
じか焼や麥からくべて柳鮠 文鳥
「柳鮠(やなぎばえ)」はこの時代はどうだか知らないが江戸後期には春の季語になる。曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』にも春三月のところにある。
「柳鮠[和漢三才図会]処々河湖の中に多し。状鰷(あゆ)に似て、白色淡黒にして略(ほぼ)青色を帯ぶ。性、好て群集し、水上に浮遊す。性、蠅を好む。故に魚人、馬の尾、鯨の髭を以て、蠅の頭を模し成し、先砂糖を水上にうかぶるときは、蠅聚る時に蠅の頭を水に投じてこれを釣り、或は網を以てとる。春夏多く出、其大さ二三寸、水中を行こと至て速し。故にはえと名づく。其の柳の葉に似たるものを、柳鮠と云なり。」(『増補俳諧歳時記栞草 上』曲亭馬琴編、岩波文庫、p.158~159)
柳鮠が夏の季語ではないなら、この場合の季語は麥からくべてで「麦焼」だろうか。ただ、『増補俳諧歳時記栞草』に麦焼はない。
ただ、柳鮠を焼くときにまず麦打ちした屑を最初にくべてじか焼きにするという意味なら、意味から行って夏の句となる。こうすると麦の香ばしさがうつったりするのだろうか。
異草に我がちがほや園の紫蘇 蔦雫
これもあるあるネタだ。庭でも畦道でも赤紫蘇は勝手に生えてくる。だが、紫蘇はいろいろ役に立つので、雑草だけど歓迎され、他の雑草が引き抜かれる中で勝ち誇ったように葉を広げている。
せばきところに老母をやしなひて
魚あぶる幸もあれ澁うちは 馬見
意味はわかりやすい。貧しい中でも魚をあぶり、それを渋団扇で扇ぎ、段々焼けていい匂いがすると、そりゃあ幸せな気持ちになる。
ただ、暑さをしのぐ団扇でなく、火加減を調整するための団扇ほ一年中あるものだが、ここでは形式的に「団扇」である以上夏と判定されている。
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