先ず訂正から。二十四句目の作者は素堂ではなく芭蕉だった。名前のところが蕉、仝、蕉となってたし、これまで漢詩は全て素堂が詠んでいたから、ついついつられてしまった。
二十四句目
朝日影頭の鉦をかがやかし
風飱喉早乾 芭蕉
そして、二十五句目は素堂が漢詩ではなく五七五で詠む。
二十五句目
風飱喉早乾
よられつる黍の葉あつく秋立て 素堂
黍の葉も秋立つ頃は暑さで萎れてよれたようになる。前句の風飱喉早乾を黍のこととした。
二十六句目
よられつる黍の葉あつく秋立て
うちは火とぼす庭の夕月 芭蕉
立秋は八月八日前後で、広島原爆忌と長崎原爆忌の間に来る。そのため近代俳句では同じ原爆忌でも広島の場合は夏で長崎の方は秋になる。
旧暦の場合は年内立春があるように、水無月の上半期立秋もあるが、一般的には文月の初め頃になる。
夕月はまだ七夕になる前の細い月であろう。夜は暗いので家の中では火を灯す。
二十七句目
うちは火とぼす庭の夕月
霧籬顔孰與 素堂
「霧のまがき、かんばせいずれ」と読む。通ってくる男は霧の向こうで、一体誰なの、と恋の句となる。
二十八句目
霧籬顔孰與
■浦目潜焉 芭蕉
最初の文字は雨冠に衆で「しぐれ」と読ませている。CJK統合漢字やCJK統合漢字拡張Aの所も探したが見つからなかった。国字か。これで「時雨の浦、目はなみだぐむ」と読む。
潜を涙ぐむと読むのも本来の読み方ではない。水に潜るというところから、目が水に潜る=涙ぐむとしたか。漢詩というよりも当て字といった方がいい。洒落で作った偽漢文と見た方がいいのだろう。
前句の「與」を反語に取り成し、霧のまがきの向こうの顔は誰?誰もいやしないとして、船で海を渡っていった人のことを思い、涙ぐむ人とする。
二十九句目
[雨衆]浦目潜焉
ふとん着て其夜に似たる鳥の声 素堂
其の夜がどういう夜なのかはわからないが、悲しい夜だったのだろう。その夜と同じ鳥の声がする。夜だから梟か何かだろうか。時雨の浦に目は水に潜る。
三十句目
ふとん着て其夜に似たる鳥の声
わすれぬ旅の数珠と脇指 芭蕉
前句の鳥の声を旅の思い出とする。
『野ざらし紀行』の伊勢のところに「腰間に寸鐵をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ」とあるが、ここでは脇差を持って旅したことになる。旅をするときに一時的に僧形になるのはよくある事だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿