今日はスカイツリーのあるソラマチに行った。スカイツリーには登らず、郵政博物館の「はしもとみおの木彫」展を見た。オランウータンの背中の扉が気になる。
そのあと世界のビール博物館で昼食。やはり日本はベルギーに勝てないのか。
さて、昨日は『猿蓑』の句を見たが、今日は『炭俵』。京都も暑いが江戸の暑さも負けてはいない。
先ずはやはりこの句だろう。利牛の「子は裸父はててれで早苗舟」を発句とする百韻の九十五句目。
もはや仕事もならぬおとろへ
暑病の殊(ことに)土用をうるさがり 孤屋
今は熱中症と言うが、ちょっと前は日射病だとか熱射病だとか言われていた。江戸時代には「暑病(あつやみ)」と言ってたようだ。
「うるさし」はWeblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
①めんどうだ。わずらわしい。
②わざとらしくていやみだ。
③立派だ。すぐれている。
④ゆきとどいている。気配りがされている。細心だ。
注意:現代語の「うるさい(=やかましい)」の意味に使うのはまれである。
とある。この場合は①の意味であろう。「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読ませることもあるが、今の「音が大きい、騒がしい」という意味ではなく、昔の「わずらわしい」という意味だと、なるほど蠅が飛び回ると鬱陶しくて、わずらわしいと納得できる。
土用の丑の日に鰻を食うようになったのは、百年後の平賀源内の時代だから、この頃は土用だからって特に何かしたわけでもないのだろう。夏の終わりの暑さは厳しく、熱射病になって仕事などできる状態ではない。
多分今の気温はこの頃より5度以上高いのではないかと思う。職場も学校もスポーツ競技会も十分な配慮をすべし。
さて、そのほかの『炭俵』の暑さの句となると、「夏旅」の句だろうか。
並松をみかけて町のあつさかな 臥高
枯柴に昼貌あつし足のまめ 斜嶺
二三番鶏は鳴どもあつさ哉 魯町
はげ山の力及ばぬあつさかな 猿雖
するが地や花橘も茶の匂ひ 芭蕉
此句は島田よりの便に
その他「題しらず」のところに、
團賣侍町のあつさかな 怒風
の句がある。
「並松を」の句は宿場町の風景で、町を抜けると松か杉の並木道になり、日影にもなれば風も通るが、それを見るにつけ街中はじりじりと日が照り付けて暑い。
「枯柴に」の句は、背の低い木が暑さで立ち枯れて、そこに昼顔がまきついて花をつけているのを見ると、暑いのだなと思う。「顔あつし」から「足のまめ」と展開する。
「二三番」の句は、一番鶏が鳴き、それに続くように二番鶏、三番鶏が鳴く明け方だというのにやはり暑い、という句。
「はげ山の」の句は、木がないから日を遮るものがないという単純な理(ことわり)だが、「力及ばぬ」と擬人化するところにひとひねりといったところか。
「するが地や」の句は特に暑さとは関係なく、元禄七年の芭蕉の最後の東海道下向の時、大井川が増水し、島田で足止めされた時の句。
近代の浪曲の「 旅行けば 駿河の道に茶の香り」のフレーズの原型ともいえよう。
「團賣(うちわうり)」の句は、武家屋敷の並ぶ侍町に団扇売りの声が響くが、武家屋敷は門を堅く閉ざして人の気配もなく、余計に暑く感じられる。
やはり昔の江戸も暑かった。ただ、やはり京都ほどではなかったか。
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