2018年7月21日土曜日

 KADOKAWAのついランで、7月21日は「日本三景の日」というのがあって、そこで長年謎だったば「松嶋や」の句の謎が解けた。

 松島やああ松島や松島や

の句は「江戸時代の後期に狂歌師・田原坊が作ったものだといいます」とそこには書いてあった。
 芭蕉庵ドットコムによれば、「仙台藩の儒者・桜田欽齊著「松島図誌」に載った田原坊の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」の「さて」が「ああ」に変化し、今に伝えられている。」のだという。

 まあそれはともかく、とにかく暑い日が続く中で、暑い暑いと言いながらも暑さと真正面から向き合ったいきたい。
 俳諧で言えば、やはり『猿蓑』の、

   市中は物のにほひや夏の月
 あつしあつしと門々の声   芭蕉

が、暑さを代表する句ではないかと思う。
 『春の日』や『阿羅野』では、夏というと涼みだったり清水だったり、涼しさを求めるものが多く、真正面から暑さと向き合った句は少ない。それが『猿蓑』になると一変する。

 日の暑さ盥の底の蠛(うんか)かな  凡兆
 水無月も鼻つきあはす數奇屋哉    同
 日の岡やこがれて暑き牛の舌     正秀
 たゞ暑し籬によれば髪の落(おち)  木節
 じねんごの藪ふく風ぞあつかりし   野童
 夕がほによばれてつらき暑さ哉    羽紅
 青草は湯入ながめんあつさかな    巴山

というふうに暑さをテーマにした句が並ぶようになる。
 発句は本来挨拶だから、上流階級だと客人を迎えるのに様々な涼しくなるような趣向を用意し、発句を詠む客人も「涼しいですね」と詠むのが普通だったのだろう。
 ただ、庶民の挨拶となると、暑い時は「いやあ、暑いですねえ」となるのが自然だ。そういうわけで、市中だと「あつしあつしと門々の声」ということになる。京都は盆地だからそうでなくても暑い。大阪だとやはり「あつはなついでんな」とボケたりしたのだろうか。
 「日の暑さ」の句は、日がかんかん照り付けているとウンカも暑さを遁れて盥のそこにへばりついている、というもので、底というのは盥を裏返した時に見つけたという意味だろう。
 特に古典の趣向によるものではない日常のあるあるネタで、凡兆の得意とするところだったか。
 「水無月も」の句の「數奇屋」はweblio辞書の「三省堂大辞林」に、

 ①  庭園の中に独立して建てた茶室。茶寮。かこい。
 ②  草庵風に作られた建物。また、茶室の称。
 ③  障子に貼る美濃紙みのがみ。

とある。
 水無月のお茶会で、暑い中汗をかきながらも、狭いお茶室の中で鼻と鼻を突き合わせて、ご苦労なことだ。それこそ「數奇」でなくてはできないことだ。
 「日の岡や」の句は、山梨県の芭蕉dbによれば、

 「「日の岡」は、京都市山科区日ノ岡で、東側だけが開いているので朝日が顔に当たるところからこう呼ばれているそうである。「こがれる」のは焼け付くことで、恋することではない。日の岡を牛が猛暑に焼きつかれながら歩いている。さぞや喉も渇いていることであろう。」

とのことだ。特に付け加えることはない。
 「たゞ暑し」の句。「籬」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、「竹や柴などで目を粗く編んだ垣根。ませ。ませがき。」とある。
 暑さを避けてみんな寄りかかるもんだから、よく見るとそこに抜けた髪の毛が残ってたりする、というあるあるネタだ。
 「じねんごの」の句の「じねんご」は竹の実のこと。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には「竹・笹の果実。小麦に似た長楕円形で、食用となるが味は悪い。」とあり、「大辞林 第三版の解説」には「まれに結実する竹・笹類の実。往時、飢饉の際の非常食とした。ささみどり。自然秔じねんご。」とある。
 「じねんご」のなる竹薮を吹く風がことさら暑く感じられるのは、多分飢饉を連想させるからなのだろう。
 「夕がほに」の句は、『源氏物語』の夕顔巻の最初の場面をイメージしたものだろう。源氏の君の辛い夏が始まる。光の君への揶揄を込めたこの句は、羽紅(おとめさん)の女性の立場に立った気持ちなのだろう。
 「青草は」の句は湯治場の情景だろうか。当時の銭湯は蒸し風呂が主流だったし、そこから青草は見えないだろう。
 このあとの「夕涼み」の句も気になる。夕涼みでも暑さがにじみ出るような句だからだ。

 水無月や朝めしくはぬ夕すゞみ    嵐蘭

 当時は一日二食だが、暑くて朝飯を食う気にもならず、その分夕方になって一気に食う。ムスリムのラマダンも案外そういうところから自然に生まれたのかもしれない。

 じだらくにねれば涼しき夕べかな   宗次

 『去来抄』に、

 「さるミの撰の時、 宗次一句の入集を願ひて、数句吟じ来れど取べきなし。一夕先師のいざくつろぎ給へ。我も臥なんとの給ふに、御ゆるし候へ。じだらくに居れば涼しく侍ると申。先師曰、是これほ句也なり。ト、今の句につくりて、入集せよとの給ひけり。」

とある。下手にひねった句より、何気なく吐いた一言のほうが良かったりする。

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