テレビやネットのニュースで知るくらいの知識だが、水害や土砂災害の爪あともまだ痛々しい。まあ、あまりこういうのを露骨に政局に利用しようとすると、却って反感を買い、支持率を落とすものだ。
支援物資の配分は、どうしても社会主義的な非効率に陥りがちなので、コンビニなどの復興を政府が助けて、資本主義の効率の良さを利用するのは悪いことではないと思う。
それでは「破風口に」の巻の続き。
十三句目。
乳をのむ膝に何を夢見る
舟鍧風早浦 素堂
書き下し文にすると、
乳をのむ膝に何を夢見る
舟は鍧(ゆる)ぐ風早(かざはや)の浦 素堂
となる。「鍧」はおそらく「訇」と同様で、ごうごうという激しい音を表す字であろう。
「風早の浦」は安芸の国に実在する地名で、
『万葉集』巻十に、
風速(かざはや)の浦に舶泊(ふなどま)りの夜に作る歌二首
沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを
我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり
の歌がある。
ただし、ここでは「風早の浦」は風のごうごうと吹く浦という意味と掛けて用いられている。風が強い浦で波風の轟々と音を立てる中、舟は木の葉のように揺れ、そんな中で幼い乳飲み子は何の夢を見るのか。
おそらく壇ノ浦に沈んだ幼い安徳天皇をイメージしたものであろう。
十四句目。
舟鍧風早浦
鐘絶日高川 素堂
書き下し文だと、
舟は鍧(ゆる)ぐ風早(かざはや)の浦
鐘は絶ふ日高川 素堂
となる。
日高川は和歌山県日高川町を流れる。能で有名な道成寺がある。鐘はその道成寺の鐘であろう。紀伊水道もまた波が荒く一般的な意味での風早の浦といえよう。
「川」は「烟」「涎」の韻を引き継ぐ。
十五句目。
鐘絶日高川
顔ばかり早苗の泥によごされず 芭蕉
謡曲『道成寺』は安珍・清姫伝説を能にしたもので、僧の安珍は奥州白河の僧という設定になっている。
多分そこで芭蕉は自らが白河で詠んだ、
早苗にも我色黒き日数哉 芭蕉
の句を思い出したのだろう。
はるばる白河から旅をしてきた安珍は真っ黒に日焼けしていそうだが、清姫が惚れるほどの美男だったから、きっと顔は日焼けもしてないし、早苗の泥にもまみれてないのだろう、というところか。
それが仇となって、鐘の中で絶命することになった。
十六句目。
顔ばかり早苗の泥によごされず
食はすすけぬ蚊遣火のかげ 芭蕉
前句を普通の農夫のこととし、一日泥にまみれて働いて、夏でも食欲旺盛で、まるで口だけは泥に汚れていないかのようだ。夏だから蚊遣火を焚くが、その煤にも食(めし)はすすけない。
十七句目。
食はすすけぬ蚊遣火のかげ
詫教三社本 素堂
「詫」は「た」と読み、わびる(侘びる、詫びる)という意味だが、ここでは「たく」と読ませているから「託」のことであろう。
書き下し文だと、
食はすすけぬ蚊遣火のかげ
詫(たく)は三社をして本とならしむ 素堂
となる。
「三社」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《「さんじゃ」とも》三つの神社。特に、伊勢神宮・石清水(いわしみず)八幡宮・賀茂神社(または春日大社)をさす。」
とある。
江戸で三社というと、かつて三社権現社と呼ばれていた浅草神社のことでもあり、いまでも三社祭りにその名前を残している。
浅草神社のホームページによれば、漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁をしていたが、その日に限り一匹もかからず人型の像高が掛かり、何度投げ捨ててもこの人型がだけしか網にかからないので、土師真中知に尋ねたところ、これぞ聖観世音菩薩の尊像だということで兄弟は信心を起して祈ったところ、大漁になったという。
「土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。
土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。」
とホームページには記されている。
ここでいう三社は浅草の三社様の方で、人型の託があって三社権現社の本となり、江戸の庶民が夏でも飯を食える、と考えたほうがいいだろう。
十八句目。
詫教三社本
韻使五車塡 素堂
書き下し文だと、
詫(たく)は三社をして本とならしむ
韻は五車をして塡(いしずえ)とす 素堂
となる。
「五車」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《「荘子」天下から》5台の車に満ちるほどの多くの書。蔵書の多いこと。五車の書。」
とある。
この二句は対句となる。連歌で言えば相対付けになる。
託は三社の本となり、詩は五車の書物が基礎となる。意味はそんなに関連してなくても対句だからこれでいい。
五車というと蕪村七部集の一つに維駒編の『五車反古』というのがある。
これは維駒の父である召波の、
冬ごもり五車の反古のあるじ哉 召波
から取ったものだ。
五台の車にも満ちるほどの反古というと、どんなけ書いては捨てを繰り返したのか。紙の値段の安くなった江戸時代ならではだろう。
「塡」は「烟」「涎」「川」の韻を引き継ぐ。
0 件のコメント:
コメントを投稿