桂川ばかりか長良川もかなり危険な状態になったようだ。関市といえば親父とお袋の墓があって、ロシア=クロアチア戦を見ていてもそっちが気になる。
西の大雨とは裏腹にこちらの方は晴れて夏が戻ってきた。蝉が鳴き、入道雲が浮かび、いかにもな夏。心配されていた夕立もなかった。
そういうわけで越人撰の『庭竈集』から夏らしい句を。
木の間より夕日砕て蝉の声 簔笠
日が西に傾いて少し暑さも和らぐと、木の間越しの西日がまぶしく、世界が緑色に光り輝く一瞬だ。それを「夕日砕(くだけ)て」と描写するあたりは近代的な感じがする。蝉の声も油蝉からヒグラシに変わる頃か。
白雨や軒の雫に夕日影 簔笠
夕立が晴れて残る雫が夕日にきらめく。涼しさを感じさせる。
奇峯
春はいはば花と化たる雲のみね 簔笠
雲の白い峯を吉野の花の峯に喩えた句。
簔笠という人はどういう人かよくわからないが、越人撰の『庭竈集』や『鵲尾冠』『猫の耳』に登場するので越人の門人なのか。
以前、
華火
鐘のねを聞デ散行花火哉 簔笠
の句を紹介したこともあった。これも『庭竈集』の句。
『鵲尾冠』の簔笠の句。
古池に動かぬ水の色あつし 簔笠
夏だって蛙はいるんだろうけど、どこへいったか。
川音・松風の時雨は涼しきに
冬の名の時雨に似ぬか蝉の声 簔笠
「蝉時雨」という言葉はいつ頃からあるのかよくわからないが、案外この句が起源なのかもしれない。『鵲尾冠』のこの句の後に、次の二句が続く。
時雨といへば雨の字あれども
蝉の声時雨るる松に露もなし 飛泉
時雨だけいよいよ暑し蝉の声 嘉吟
最後に『猫の耳』から、
蜘のゐに朝露すずし小松原 簔笠
越人門は軽みに走った芭蕉とは別に、『冬の日』『春の日』『阿羅野』の頃の平明で古典趣味を現在のリアルに置き換える風を維持したせいか、こうしたやや近代的な写生に近い句風が見られる。
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