2017年11月1日水曜日

 今日は十三夜で月がよく見える。ようやく天候が安定してきた。公孫樹は黄色くなっている所と緑のままの所が極端だったりする。
 今回は日本人の霊性について考えてみようと思うが、別にそんなに難しいものではない。基本的には多神教のまま近代化したため、神話や神の名は忘れてしまったが多神教の多元性原理だけは残っているという状態だ。
 多元性原理というのは簡単に言えば唯一絶対の物はないということだ。その点では一神教原理と真逆にある。
 唯一絶対の物はないということは、人間はもとより皆不完全だし、人間の理性や思考も完全なものではないから、どんな思想も絶対的なものではない。多神教の場合神様もまた完全ではない。だからどんな宗教も完全ではない。
 完全なものがないから、崇拝の対象としての絶対者は存在しない。日本人が自分の宗教のことを聞かれ、多くの人が「無宗教」と答えるのは、キリスト教のような絶対的な神を信じていないという意味で言っているだけで、神社へ行けば柏手を打ち、お寺へ行けば合掌する。
 絶対的なものがないから、一つの考え方の押し付けは日本では嫌われる。みんなそれぞれある一面では正しくて一面では間違っていることを認め合いながら、お互いに譲り合い妥協しあう。それが日本人のやり方だ。パヨクが嫌われるのも、彼らは一方的に自分の主張を押し通そうとする所があるからだ。
 とにかく自分が不完全であることを認め、謙虚さと慎みがこの国では求められる。
 同じ多神教でもインドではヒンディーの神々や神話が生きているのに対し、日本の多神教がなぜ神話や神の名を失ってしまったかというと、それは古代にまで遡ることができる。
 元来日本列島には縄文人が住んでいたが、中国の長江の下流域、いわゆる江南地方から海流に乗って様々な人間が断続的にやってきた。中国の漢書に登場する江南の倭人も日本人の祖先の一つと思われる。
 万葉の時代には秦人(はたひと)、漢人(あやひと)、呉人(くれひと)、越人(こしひと)、隼人(はやひと)など様々な人が登場する。それに加えて百済や高句麗の難民(いわゆる帰化人と呼ばれる人たち)が多数流入し、多民族の混然とした状態になっていた。
 記紀神話は当時の人たちに伝わるそれぞれの神話を統合した統一神話の試みだったと思われる。ただ、神道はこの神話を教義とすることもなく、その後も八幡神社や高麗神社、白山神社などの渡来系の神社が加わって、神話は結局統一されることなく、神道は結局教義や戒律のない宗教として多様なまま相対化されていった。
 一定の教義や戒律を持たないことで、日本の多神教文化は閉じた体系の宗教ではなく、常に新たな神々へと開かれた多神教という形を取るようになった。神道は仏教と習合したし、儒教も取り入れた。そんな開かれた多神教文化が近代化の際、キリスト教を取り込むことにも何の抵抗もなかった。ただ、多神教の一部として取り込まれただけで、日本は韓国や中国と比べてもキリスト教徒の数は少ない。キリスト教にとって最も難攻不落な土地だった。
 クリスマスやハローウィンは大騒ぎしてくれるけど、決してキリスト教を信じてはいない。多分イースターもだんだん日本に浸透してくるだろう。ただクリスチャンにはならない。日本の多神教的風土の中に取り込まれるだけだ。
 他所の国の人は日本は不思議な国だと思うかもしれない。ただ、ここには絶対的なものは何もないんだということを理解すれば、多少はわかりやすくなるだろう。
 絶対的なものを求めない日本人は、永遠の命も求めない。イワナガヒメではなくコノハナサクヤヒメを選んだ日本人は、限りある短い命を生きることを選んだ。『竹取物語』も本来はそういう物語だった。

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