2017年11月19日日曜日

 ある程度俳句を勉強した人がこの鈴呂屋俳話を読むと、多分かなりの違和感を感じると思う。
 晩年の芭蕉に関しても、古くからの弟子たちが去っていって孤立する中で、

 此秋は何で年よる雲に鳥     芭蕉
 此道や行人なしに秋の暮     同
 秋深き隣は何をする人ぞ     同

といった句も、自分の目指す俳諧が全然理解されていないことへの孤立と孤独の表現と見るのが普通なのかもしれない。
 実際の芭蕉は常に弟子たちに囲まれ、臨終の際にも多くの門人の見守る中で、さながら釈迦涅槃図のようでもあった。
 桃印、寿貞に先立たれて、その意味でいくら弟子たちがいつも回りにいても、心にぽっかり穴の開いたような孤独感があったのは確かだと思う。「白菊の」の巻の三十一句目、

   杖一本を道の腋ざし
 野がらすのそれにも袖のぬらされて 芭蕉

にもそれは表れていると思う。
 ただ、一般の近代俳句に所属する俳人や俳句研究者は、こうした孤独感に近代の文化人の孤独を無理に重ね合わせていたようにも思える。
 明治以降の急速な近代化の中で、日本の文化人は常に西洋化を促進する立場にあり、そのつど日本の伝統的な価値観や風習と戦ってきた。その中で、たとえ成功を収めたとしても、なかなか西洋の価値観を受け入れてくれない大衆への苛立ちを感じ、時としてあからさまに侮蔑の言葉を投げかけることもあった。それを少なからず芭蕉に投影してたのではないかと思う。
 正岡子規が芭蕉の古池の句を「写生」への開眼とと解釈し、それがやがて定説となっていく中で、一方ではそれが弟子たちに十分理解されず、「軽み」の俳諧についても一種の大衆迎合(ポピュリズム)と見て、否定的に評価する人も多かった。
 それは西洋文学を学んで、それを日本に広めようとしながらもなかなか大衆がそれについてこない、近代の文学者自らの孤独に重ねていての発想だったのではないかと思う。
 筆者は別に近代化や西洋化を否定するつもりはない。ただ、近代化・西洋化を急ぐあまりに、伝統文化とあまりに敵対的になりすぎた人たちに関しては疑問を感じざるを得ない。
 今日のジャパンクールといわれる漫画、アニメ、ゲーム、ラノベ、あるいはビジュアル系と呼ばれる音楽も、別に日本の伝統文化から発生したわけではない。漫画やアニメも西洋から入ってきたものだし、コンピューターゲームもさまざまな西洋のゲームの影響を受けながら、日本で独自の文化が形成されていった。ラノベも基本的には西洋の小説の書式によるものだし、ビジュアル系バンドも西洋のロックの日本独自の展開にすぎない。
 こうした大衆の側から発生したジャパンクールは、伝統文化と対峙するのではなく、融和の中から生まれてきた。むしろみんな本当は西洋にあこがれ、西洋人のようになろうとしたのだけど、生まれ育って自然に身についた日本文化の重力で各々日本的要素を含むようになり、それが逆に世界で注目されるようになったといった方がいい。
 明治の旧派の俳諧師も決して伝統に固執して、それをかたくなに守ろうとしてきたわけではなかった。彼等もまた開国によって様々な西洋の文物が入ってくる中で影響を受けただろうし、西洋への憧れもあっただろう。ただ彼等が明治二十五年以降の正岡子規の一派と違っていたのは、日本の伝統を近代化を妨げる敵として対立させることをしなかっただけだと思う。
 正岡子規は『俳諧大要』や『歌よみに与ふる書』などを通じて伝統の詩歌連俳を厳しく糾弾してきた。それをやらなかったのが旧派だという程度の違いで、旧派も基本的には俳句の近代化には賛成だったと思う。そして、筆者もまた西洋文化を否定して近代以前の日本文化に戻そうなどという考えは毛頭ない。ただ、対立的にではなく融和的に考えているだけの違いだ。
 西洋文化に対して排他的な態度を取ることは、自国の文化の更なる発展の可能性を葬り去ることで、むしろいろいろな文化と融合することで自国の文化は無限に発展するものだと考える。
 それと同様、西洋化、あるいはグローバル化にあまりに固執するあまりに、日本の文化に対して排他的な態度を取ることも発展の芽を摘むことになると思う。西洋文化も十九世紀後半のジャポニズムを経て更なる発展を遂げたし、今でもジャパンクールに並々ならぬ関心を持ってくれている。そのことによって西洋も、グローバル文化も発展してゆくのだと思う。日本の文化人だけが自国の文化に対して過度に排他的な態度を取っているのは本当に残念だ。
 まあ、基本的に彼等は輸入商のようなものだから、輸入品の価格を吊り上げるのが仕事で、そのために国産品の価値を貶めているだけなのかもしれない。いずれにせよ、そういう人たちと一線を画すのが、この鈴呂屋俳話のスタンスだと思っていただければいいと思う。
 西洋化が近代という時代の中で避けて通れぬものだったのは、その圧倒的な生産力の高さによるものだったと思う。生産力の高さは豊かさをもたらす。人間は誰でも豊かになりたい。そして自由になりたい。だから西洋を学び、西洋を追いかけてきた。それはごく自然なことだと思う。だから、西洋化の波は今でも世界を覆っている。
 ただ、近代化は世界を一つにするのではない。それは西洋を学び西洋を追いかけている非西洋圏の人たちは、それぞれ独自の伝統文化を背負い、それと融合させながら追いかけているからだ。そこに自ずと近代化の中でも多様性が生じる。日本人は日本人らしい近代化を実現したし、中国人もインド人もアラビア人も彼等らしい近代化を実現している。それらは西洋にない要素を持っていることで、かえって西洋文化を発展させる原動力にもなる。西洋人はそのことをよく知っているから、異邦人を歓待する。日本人だけが卑下する必要はない。胸を張ってこれが日本の近代だと言っていいと思う。
 日本の文化も西洋の文化もどこの文化も、人間の作るものに絶対はない。むしろ完成されてないからこそ、まだまだ発展できる。世界は多様性とその融合によって発展できる。その道を閉ざすような一面的な日本卑下はいい加減に終わりにした方が良いと思う。
 だいぶ芭蕉の話からそれてしまったが、芭蕉も伝統文化と敵対しようなどとはまったく考えてなかっただろうし、新しい俳諧を求めてゆく中で結局は伝統と融合しながら不易と流行のバランスを取った方がいいことに気づいたのだと思う。そして、その歩みは少なくとも俳諧師の間で芭蕉を孤立させることはなく、ただ流行についてゆけなくなった年寄りがいただけのことだと思う。だから、芭蕉と反目していた其角も芭蕉の臨終に駆けつけてくれたのだと思う。

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