2017年11月23日木曜日

 今日は旧暦の十月六日。雨の祝日ということで、ゆっくりと岩波文庫の『花屋日記』が読める。

 元禄七年の芭蕉の容態は、九月二十九日の支考『前後日記』に、

 「此夜より泄痢のいたはりありて、神無月の一日の朝にいたる。しかるを此叟(そう)は、よのつね腹の心地悪しかりければ、是もそのままにてやみなんと思ひけるに、二日・三日の比よりややつのりて、終に此愁とはなしける也。」(『花屋日記』小宮豊隆校訂、岩波文庫、一九三五、p.83)

とある。「泄痢」つまり下痢は芭蕉の持病で、以前から時折こういうことはあったし、おそらく最後の旅の途中で何度もこのようなことは続いていたのだろう。だから、支考もこの時はいつものこと(よのつね)と思っていたが、容態はそのまま急速に悪化していったようだ。この日の芝柏亭での興行がキャンセルされたことは前にも書いた。
 其角の『芭蕉翁終焉記』には、

 「伊賀山の嵐紙帳にしめり、有ふれし菌(くさひら)の塊積(つかえ)にさはる也と覚えしかど、くるしげなれば例の薬といふより水あたりして、長月晦の夜より床にたふれ、泄痢度しげくて、物いふ力もなく、手足氷りぬれば、あはやとてあつまる人々の中にも、去来京より馳くるに、膳所より正秀、大津より木節・乙州・丈草、平田の李由つき添て、支考・惟然と共に、かかる歎きをつぶやき侍る。」(『花屋日記』小宮豊隆校訂、岩波文庫、一九三五、p.64)

とある。
 「紙帳」は紙で作った防寒用の蚊帳のようなもので、最初はその紙帳が伊賀の嵐に湿って黴や茸が生えて、そのせいではないかと思われていたようだ。だが、伊賀にいた頃から病状が既に悪化していたことが窺われる。
 芭蕉が茸に当たって死んだという俗説は、この「有ふれし菌(くさひら)の塊積(つかえ)」を誤読したことによるものではないかと思う。園女が犯人に仕立て上げられたりして可哀相だ。
 その病を押して大阪に来て、酒堂、之道の喧嘩の仲裁をし、何度か興行を行ったが、相当無理をしていたようだ。九月二十九日の夜、終に床についたまま激しい下痢が続き、喋る力もなく体温も低下し、危篤状態に陥った。去来、正秀、木節・乙州、丈草、李由が駆けつけ、元から大阪にいた支考、惟然ニ合流した。病床で詠んだ賀会祈祷の句に之道の名前はあるが酒堂の名前はない。どこへ行ったか、九月二十六日の興行の挙句に、

   散花に幕の芝引吹立て
 お傍日永き医者の見事さ       酒堂

と詠んだ医者の酒堂は肝心なときにお傍にいない。代わりに呼ばれてきたのは大津の医者の木節だった。
 支考の『前後日記』の十月六日の所にこうある。

 「きのふの暮よりなにがしが薬にいとここちよしとて、みづから起かへりて、白髮のけしきなど見せ申されしに、影もなくおとろへはて、枯木の寒岩にそへるやうにおぼえて、今もまぼろしには思はれる。」(『花屋日記』小宮豊隆校訂、岩波文庫、一九三五、p.84)

 長いこと昏睡状態にあったようだ。ようやく意識を取り戻して顔を起して白髪頭の様子をみる事ができたが、「枯木の寒岩にそへるやうにおぼえて」というように痩せ衰えていた。このやせ細った姿の記述からも、末期癌だったと見るのが妥当だろう。
 木節をはじめとする他の京や膳所・大津、伊賀の門人たちが到着したのは、翌七日だったことが『前後日記』には記されている。『花屋日記』には「鬼貫来る。去来応対して還す。」とあるが、これは嘘だろう。鬼貫は之道とも仲が良かったし、本当に来てたなら追い返す理由なんてない。
 十月八日には之道とともに集まった門人たちが住吉四所神社に詣でて、祈願の句を奉納した。それが先に述べた賀会祈祷の句で、其角の『芭蕉翁終焉記』に記されている。

 落つきやから手水して神集め   木節

 折から神無月なので、手水の水もなかったのか、なんとも無念。から手水は今風に言えばエア手水か。

 木枯らしの空見なをすや鶴の声  去来

 吉祥である鶴の声がしやしないかと木枯らしの空を眺める。何度見ても空しい。

 足がろに竹の林やみそさざい   惟然

 「鷦鷯(ショウリョウ)は深林に巣くふも一枝に過ぎず」という『荘子』の言葉によったものか。祈願からはやや離れている。

 初雪にやがて手引ん佐太の宮   正秀

 「佐太の宮」は出雲の国二ノ宮の佐太神社で神無月には八百万の神がここに集まる。初雪が降るころにはその神様たちも戻ってきてくれることだろう、それまで何とか持ちこたえてくれと祈る。

 神のるす頼み力や松の風     之道

 「松風」は、

 深く入りて神路の奥を尋ぬれば
     又うへもなき峰の松風
               西行法師

の縁で、本地垂迹の考え方により、神道の根源には仏道があり、「松風」はそれを象徴する。神社に祈願に来たが留守なので、本地である仏だけが頼みだ、という意味。

 居上ていさみつきけり鷹の貌   伽香

 鷹が身を起こして睨みつけているさまだが、惟然の句と同様、その場にあったものを詠んだのだろう。鷹は吉祥ではある。

 起さるる声も嬉しき湯婆哉    支考

 湯婆は湯たんぽのこと。寒い朝は起きるのがつらいが、湯たんぽのぬくもりが残っていれば起される声も嬉しい。きっとこの日、祈祷に行くといくというので早く起されたのだろう。ただ、芭蕉の病気治癒の祈願にこの句はなんかそぐわない。
 このあとの病床吟「しかられて」の句にも通じるものがある。つまり、支考はいつもこういう調子っぱずれな句を詠む人だというだけのことだったのかもしれない。ある意味それは天才なのだろう。付け句の方ではその才能が遺憾なく発揮されているが。

 水仙や使につれて床離れ     呑舟

 呑舟は芭蕉の介護で、排泄物の処理など汚い仕事を引き受けていたようだ。水仙が春の使いとなって芭蕉を床から上がれるようにしてくれれば、と祈る。
祈願の句としてはこれまででは一番真情がこもっている。

 峠こす鴨のさなりや諸きほひ   丈草

 「さなり」は小さな物音のこと。「さなる(そのようになる)」に掛かる。「諸きほひは峠こす鴨のさなりや」の倒置。ここで皆が祈願の発句を競って詠むことは、峠を越す鴨のさなりのような小さな音にすぎないが、そのように芭蕉の病気も峠を越えてくれればな、と祈る。掛詞と比喩が見事な句だ。芭蕉が聞いたなら、「丈草出来たり」というところか。

 日にまして見ます顔也霜の菊   乙州

 これも比喩で、日ごとに集まる人も増えて、芭蕉の病気が良くなることを祈ってます、ということ。
 神無月ネタに走った者、素直に祈願した者、いろいろだけど、其角が「是ぞ生前の笑納め也。」と言ったように事態は悪化していった。

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