昨日は午後から谷中を散歩した。黄昏の街はやはりいい。ひょっとしてここは異界ではないかと思わせるようで幻想的だ。
昔、黄昏時の渋谷の街をあるいてて思いついたのだが、あの世というのがもしあるならきっと一年中黄昏時の紫色の空の紫街ではないかと。たくさんの灯りがともり、世界中の死者たちがそこを行き交い、争ってた国もここではノーサイドで酒を酌み交わしたり歌ったり踊ったり、毎日地球祭が行われている。そして思い残すことがなくなった人から順に完全な死へと移行してゆく。
それはともかくとして、昨日の続き。
さて、住吉詣でのあったその夜、芭蕉はあの句を詠むことになる。
支考の『前後日記』はこう記す。
「之道すみよしの四所に詣して、此度の延年をいのる。所願の句あり。しるさず。此夜深更におよびて、介抱に侍りける呑舟をめされて、硯の音のからからと聞えければ、いかなる消息にやとおもふに
病中吟
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 翁
その後支考をめして、「なをかけ廻る夢心」といふ句づくりあり、いづれをかと申されしに、その五文字は、いかに承り候半(さふらはん)と申ば、いとむづかしき事に侍らんと思ひて、此句なににかおとり候半と答へける也。いかなる不思議の五文字か侍〔る〕らん。今はほいなし。みづから申されけるは、はた生死の転変を前にをきながら、ほつ句すべきわざにもあらねど、よのつね此道を心に籠て、年もやや半百に過たれば、いねては朝雲暮烟の間をかけり、さめては山水野鳥の声におどろく。是を仏の妄執といましめ給へるたたちは、今の身の上におぼえ侍る也。此後はただ生前の俳諧をわすれむとのみおもふはと、かへすかへすくやみ申されし也。さばかりの叟の辞世はなどなかりけると、思ふ人も世にはあるべし。」(『花屋日記』小宮豊隆校訂、岩波文庫、一九三五、p.85~86)
考えてみれば、芭蕉を一人にしてみんなで出かけるというのはないだろう。となると、支考は居残り組みだったのだろうか。「之道すみよしの四所に詣して」というのは、之道一人が詣でたわけではないにせよ、何人かは居残って芭蕉の看病をしてた可能性が高い。支考の「起さるる」の句も之道らの出発の前に詠んだのなら納得できる。
木節の発句がないのも、医者が芭蕉のところを離れるわけにはいかなかったからだろう。舎羅の発句もないから、介護要因として居残り組だったのだろう。其角の『芭蕉翁終焉記』に、
「木節が薬を死迄もとたのみ申されけるも、実也。人々にかかる汚レを耻給へば、坐臥のたすけとなるもの、呑舟と舎羅也。」(『花屋日記』小宮豊隆校訂、岩波文庫、一九三五、p.65)
とある。
その日の夜も更ける頃、ほとんど動くこともなく言葉もなかった芭蕉の部屋から不意に硯の音が聞こえてくれば、何かあったと思うし、もしや最後の言葉がとも思うだろう。
幸いまだ「いまは(さよなら)」ではなく、芭蕉の詠んだ句を介護役の呑舟に書き留めさせているところだった。ひょっとして辞世の句かという思いもあっただろう。その句は、
病中吟
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
だった。
支考が部屋に入ると、芭蕉は「なをかけ廻る夢心」という案もあったがどっちが良いかと聞いた。これは「此道や」の句のときと同じパターンだ。芭蕉はよく弟子たちにこういう質問をしたのだろう。
言葉というのは確かに自分がこう言いたいと思って発してはみても、聞いた人はまったく別の意味に取ることがある。だから自分の句の意味がちゃんと伝わっているかどうかこうして確認したくなるのだろう。
「その五文字は、いかに承り候半(さふらはん)」というのは「かけ廻る」の五文字のことだろう。それはどういう意味なのかと思ったものの、そう難しく考えることもないと思い、この句は何の悪い所もないのでわざわざ「かけ廻る夢心」に直すことはないと答えたという。この五文字は「不思議の五文字」だという。
旅に病でなをかけ廻る夢心
これだと「枯野」の字が消えてしまい季語が入らないから、確かにどっちが良いかといわれても、そんなに迷うこともないだろう。体言止めで句としての収まりは良いが。むしろ支考が気になったのは「かけ廻る」という言葉が何処から出てきたのかということだった。
芭蕉が言うには、まず「生死の転変を前にをきながら、ほつ句すべきわざにもあらねど」とうことで、これは死を前にしたなら一心に仏のことを念ずべきだという意味で言っているのだろう。
芭蕉には辞世の句を詠まなくてはならないという意識はなかったものと思われる。辞世というのは身分の高い人の詠むもので、自分なんぞはという意識があったのかもしれない。
そして「よのつね此道を心に籠て、年もやや半百に過たれば、いねては朝雲暮烟の間をかけり、さめては山水野鳥の声におどろく。是を仏の妄執といましめ給へるたたちは、今の身の上におぼえ侍る也。」と付け加える。
言わば商売柄、こんな時にまで俳諧のことが気になってしょうがないのは煩悩の妄執だというわけだ。この「朝雲暮烟の間をかけり」が「かけ廻る」という言葉の意図だったのだろう。
これに対し支考は「さばかりの叟の辞世はなどなかりけると、思ふ人も世にはあるべし。」と感想を述べる。これほどの辞世は他にあるまい。芭蕉自身はそのつもりでなくても、最高の辞世の句であることは間違いない。
偽書の『花屋日記』も「これは辞世にあらず、辞世にあらざるにもあらず。」(『花屋日記』小宮豊隆校訂、岩波文庫、一九三五、p.26)と言っている。近代的にあくまで作者の意図を重視するなら辞世ではないが、読んだ人が辞世として受け止めるならそれはそれでいいと思う。
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