注文していた『花屋日記』(小宮豊隆校訂、一九三五、岩波文庫)が届いた。先日、やぶちゃんの電子テキストより引用した『笈日記』の中の芭蕉終焉記に相当する「前後日記」がこの本を基にしているというので、早速検索して取り寄せた。この鈴呂屋俳話もたくさんのネット上の見も知らぬ人たちの協力の上に成り立っていて、とにかくみんなに感謝します。ウィキペディアにもそろそろお金払った方がいいかな。
この本はいわゆる偽書で、「此道や」の巻の興行が九月二十一日になってたりする。
この本の一番の見所は十月十一日、芭蕉の死の前日、門人たちが集まって夜伽(よとぎ)の句を詠ませた場面だろう。
『去来抄』「先師評」に、「さまざまの吟ども多く侍りけれど、ただ此一句のミ丈草出来たりとの給ふ。」とあるその場面だ。「出来たり」というのは、
うづくまるやくわんの下のさむさ哉 丈草
の句だった。
この時の、
しかられて次の間へ出る寒さ哉 支考
の句だけが異質で、「おい支考、一体何やらかしたんだ」って感じだったが、『花屋日記』では上手く辻褄を合わせて一つのストーリーを作っている。まあ、所詮は見てきたような嘘なのだが。
そういうわけで、一人では何も出来ない筆者が、会ったことのないたくさんの人たちの協力を得ながら、今日も「此道や」の巻の続きを行きたいと思います。
四句目
月しらむ蕎麦のこぼれに鳥の寝て
小き家を出て水汲む 游刀
游刀は膳所の能役者だという。月白む頃に家を出て水を汲みに行く。小さき家は貧しい家の人なのか、それとも隠遁者かと想像を掻き立てる。
五句目
小き家を出て水汲む
天気相羽織を入て荷拵らへ 之道
前句の人物を商人と見ての位付けだろう。天気の具合を案じながら、羽織を一枚入れて荷支度する。
六句目
天気相羽織を入て荷拵らへ
酒で痛のとまる腹癖 車庸
車庸は大阪の商人で、元禄五年に『己が光』を編纂している。
前句の商人を酒飲みと見ての展開。
YAHOO!知恵袋に「胃が痛い時にお酒を飲むと治ることがあるのですがなぜでしょうか?」というのがあったので、実際こういう人はいるようだ。
また、zakzakの記事で、「不思議なもので、酒を飲むと痛みも消えるので」というのが実は胆のう炎だったというのもあった。
酒で痛みが止まるのは単に酔いに紛れているだけで、深刻な病である可能性もあるので注意しよう。
初裏
七句目
酒で痛のとまる腹癖
片づかぬ節句の座敷立かはり 酒堂
酒で腹痛を紛らわしているのは、節句の座敷に入れ替わり立ち代り客がやって来るせいで、いろいろ気を使って胃は痛くなる。痛くなった胃を次の客との酒で紛らわす。これじゃ体に良い分けない。
八句目
片づかぬ節句の座敷立かはり
塀の覆にあかき梅ちる 畦止
畦止も大阪の人。芭蕉も滞在している。
前句の節句を正月として座敷の塀に散る紅梅を添える。
九句目
塀の覆にあかき梅ちる
線香も春の寒さの伽になる 惟然
「梅散る」を人が亡くなった暗示としての展開だろう。一人仏前に向えば線香の煙に仏様の方から「元気出せよ」と慰められたような気分になる。
十句目
線香も春の寒さの伽になる
恵比酒の餅の残る二月(きさらぎ) 亀柳
亀柳についてはよくわからないが、大阪の人のようだ。
恵比寿の餅というのは正月の十日恵比寿の餅のことか。二月になれば黴だらけだろうな。昔は黴の生えた餅でも平気で食ってた。
これで一応全員一句づつ詠んだことになる。
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