昨日は秦野の震生湖から千村の方へと歩いた。震生湖には猫が八匹もいた。釣りをしてる人もたくさんいた。
栃窪にある愛犬ハウスセキノからは相変わらず膨大な数の犬たちのワンワンキャンキャンいう声が聞こえていた。そういえば一昨年の九月に来た時に、
騒ぐ犬悲しく一体何の秋の風
とい句を詠んだっけ。ちょっと芭蕉の猿を聞く人の気分になったが、今も犬の声はその頃と何も変っていない。
千村も以前八重桜を見に行ったが、今は紅葉を通り越してかなり落葉していた。
さて、「此道や」の巻の続き。
十一句目
恵比酒の餅の残る二月
兵の宿する我はねぶられず 泥足
二月と八月は関東の譜代大名の参勤交代の季節で、江戸の商人である泥足は、お侍さんの御一行を泊めたりしてたのだろうか。三人称ではなく「我は」と限定するのは珍しい。
十二句目
兵の宿する我はねぶられず
かぐさき革に交るまつ風 芭蕉
「かぐさき」は獣肉、皮などの匂いのこと。
展開する時には「我は」は余り気にせず、乱世の頃の話にしてもいい。実際に軍の装備をしている兵(つはもの)は革の匂いがぷんぷんしたことだろう。
「兵(つはもの)の宿する」に「かぐさき革」、「ねぶられず」に「松風」と四つ手に付ける。
十三句目
かぐさき革に交るまつ風
ばらばらと山田の稲は立枯れて 車庸
前句の「かぐさき革」を動物の死体のこととしたか。飢饉の光景だろう。
十四句目
ばらばらと山田の稲は立枯れて
地蔵の埋る秋は悲しき 支考
地蔵が埋もれるのだから、上流から土砂が流されてきたのか、あるいは火山の噴火によるものか。この年の五月に、
牛流す村のさはぎや五月雨 之道
の句を発句とした「牛流す」の巻が巻かれていることを思うと、何かそういう事件があったのか。
「埋る」は草に埋もれるとも取れるため、飢饉ネタはここで終わらせることができ、月呼び出しになる。
十五句目
地蔵の埋る秋は悲しき
仕事なき身は茶にかかる朝の月 之道
草に埋もれた地蔵に貧しさを感じての展開で、仕事もなく朝からお茶を飲んでいる牢人の句とする。抹茶でも煎じ茶でもピンからキリまであり、貧しいなりにもお茶は飲めた。
十六句目
仕事なき身は茶にかかる朝の月
塩飽(しあく)の船のどつと入り込 惟然
塩飽は瀬戸内海の塩飽諸島のこと。ウィキペディアには、
「寛文12年(1672年)、河村瑞賢が出羽国の米を江戸に運ぶべく西廻海運を確立すると、塩飽の島民はその運航を一手に担い、新井白石が奥羽海運記で「塩飽の船隻、特に完堅精好、他州に視るべきに非ず」と記した廻船に乗り、江戸や大阪など諸国の港を出入りする。」
とある。塩飽(しあく)の船は廻船のことをいう。
この場合は「仕事なき身は」をそういう人もいるという程度に取り成して、朝の月の頃に米を積んだ廻船が続々と入港するという展開と見ていいだろう。
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