昨日の続き。
さて、その元禄七年九月二十六日の興行だが、江戸の泥足が『其便』の編纂をやっている頃、たまたま大阪に来ていることを知って尋ねていって実現した半歌仙興行だった。
『其便』には次のような前書きがある。
「此集を鏤(ちりばめ)んとする比、芭蕉の翁は難波に抖擻(とそう)し給へると聞て、直にかのあたりを訪ふに、晴々亭の半歌仙を貪り、畦止亭の七種の恋を吟じて、予が集の始終を調るものならし。」
「抖擻」は「ふるえている」ということ。病気で苦しんでいるという意味か。
「七種の恋」は芭蕉、泥足、支考、惟然、酒堂、之道、畦止の七人がそれぞれ漢語の題で故意を詠むという趣向で行われたもので、芭蕉は、
月下送児
月澄むや狐こはがる児の供 芭蕉
とあえて男色を詠んでいる。やはり噂通りそういう趣味の人なのか、それとも女色を詠むことに照れがあってホモネタに逃げているのか、定かではない。
この時芭蕉の体調はかなり悪化していたと思われる。晴々亭の興行が半歌仙で終わったのも、体力的な問題があったと思われる。翌二十七日には園女亭で歌仙興行が行われるが、これが芭蕉の最後の俳諧興行となる。
泥足は、芭蕉の、
所思
此道や行人なしに秋の暮 芭蕉
の発句に脇を付ける。
此道や行人なしに秋の暮
岨(そば)の畠の木にかかる蔦 泥足
ここは余り発句の情を深く受け止めてしまうと重くなり、興行の始まりから暗い気分になりそうなので、あえて情を突き放して付けたのだろう。
行く人のない道に山奥の情景を付け、そこに暮秋の蔦の紅葉を添えている。四つ手付けの句だ。
次に支考が第三を付ける。
岨の畠の木にかかる蔦
月しらむ蕎麦のこぼれに鳥の寝て 支考
畠から蕎麦のこぼれ種が花をつけて、それを月が照らし出している美しい情景を付け、そこに鳥が寝てと付け加える。この頃の支考は本当に天才だ。
「岨の畠」に「蕎麦のこぼれ」と「ソバ」つながりでありながら、駄洒落にもならず、掛詞にもなっていないし、取り成しにもしていない。ただ何となく繋がっているあたりがやはり一種の「匂い」なのか。
「牛流す」の巻の六句目
月影に苞(つと)の海鼠の下る也
堤おりては田の中のみち 支考
の「つと」→「つつみ」、「下がる」→「おりて」の縁にも似ている。
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