今日は午後から雨も止み、近所の盆踊りも今やっている。
大谷篤蔵さんの『芭蕉連句私注「柳小折」の巻」』をネットで見つけた。付言のところに、
二十四句目
薄雪の一遍庭に降渡り
御前はしんと次の田楽 芭蕉
の『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)が引用されていた。貴重な史料だ。それによると、
「うす雪の降りわたりたる夕方、御前には釜などかかりてしんとしたるに、御次には田楽やきて酒のむらむか。」
と田楽は料理のことになっている。
踊りとしての田楽は古代から中世のもので江戸後期には廃れていたから、「田楽」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが味噌田楽だったことは想像できる。
ただ、芭蕉の時代には大谷篤蔵さんが引用している『日次紀事』(黒川道祐著、延宝四年刊)に記載があるのであれば、芭蕉の時代には田楽はまだ神事で行われていたことになる。
ただ、大谷篤蔵さんの「社前の群衆しわぶき一つせず、次の田楽を待つ」というのは、今のクラッシックコンサートではないのだからありそうにない。大体群衆が押し寄せたら薄雪の積もる隙もない。ここはまだ開場前の風景とすべきであろう。
次の句の、
御前はしんと次の田楽
追込の綱を鼡のならす音 酒堂
を見ても、これが開場前のことだということがわかる。人がたくさんいたら鼠は出てこない。
田楽は廃れたが、一遍上人の広めた念仏踊りに引き継がれ、今日でも盆踊りとして生き残っている。
大谷篤蔵の「注解者に、当時の人のあらゆる事物に関する生活感情を過不足なく感じ取るだけの素地がなければならない。別に連句に限ったことではないともいえるが、特に連句の注解においてこの事実を感じさせられる。」の言葉は私の目指す所でもある。
歴史学は長いこと政治体制や法制度の研究が中心で庶民の生活にはさしたる関心を持ってこなかったばかりでなく、進歩史観や貧農史観のバイアスによって多くの偏見を生んできた。
そんな旧来の歴史学に突破口を開いたのは中世研究での網野善彦さんや80年代くらいから盛んになってきた江戸学の台頭で、今でこそネットを通じて様々な江戸時代の情報を入手できるようになったが、それ以前だと連句研究がほとんど手付かずの状態だったのは、ある意味やむをえなかったのかもしれない。いい時代になったと思う。
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