2017年7月11日火曜日

 まず訂正から。前回の十二句目の「さあ秋風が秋かぜがさあ」は惟然ではなく正興でした。
 十三句目

   さあ秋風が秋かぜがさあ
 五器ふけばはやすずむしの思はるる   正興

 「秋風」に「吹く」は縁語だけど、「五器ふく」だと「拭く」の方か。五器

を拭いていると鈴虫のことが浮かんでくるのはなぜかというと、「ふく」といえば秋風だからだ、と落ちになる。
 あるいは五器に五器被(ごきかぶり)の連想も働いていたか。ゴキブリと鈴虫、似てないけど。

 十四句目

   五器ふけばはやすずむしの思はるる
 我が居る所は福島の先         惟然

 福島という地名が唐突だが、「拭く」からの縁か。今だったら仙台市の虫は鈴虫(昭和47年制定)だが、宮城野の鈴虫が当時有名だったかどうかはわからない。

 十五句目

   我が居る所は福島の先
 終夜(よもすがら)いふた事みなうそでない 惟然

 大阪の淀川河口に西成郡福島村があったが、備中での夜を徹しての俳諧で「我が居る所は福島の先」というのは、大阪の先という点では嘘ではない。

 十六句目

   終夜いふた事みなうそでない
 どうでも是は薪がふすぶる       正興

 「どうでも」は「それにつけても」と同様、話題を転換する時の言葉で、これを使えばどんな句でもつく万能の付け句が作れる。夜もすがら語り明かしたことが本当か嘘かはともかく、薪はくすぶっている。
 「終夜いふ」を「語る」と同様に取れば、恋の句ともいえないこともない。

 十七句目

   どうでも是は薪がふすぶる
 花花花散と盛はいつの比        正興

 「いつの比(ころ)」に「どうでも」と付く。花の定座。

 十八句目

   花花花散と盛はいつの比
 遊びはじめの若菜なるべし       惟然

 「いつの比」を「いつのことやら」というまだまだ先という意味にして、正月の若菜摘みにもってゆく。

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