まず訂正から。前回の十二句目の「さあ秋風が秋かぜがさあ」は惟然ではなく正興でした。
十三句目
さあ秋風が秋かぜがさあ
五器ふけばはやすずむしの思はるる 正興
「秋風」に「吹く」は縁語だけど、「五器ふく」だと「拭く」の方か。五器
を拭いていると鈴虫のことが浮かんでくるのはなぜかというと、「ふく」といえば秋風だからだ、と落ちになる。
あるいは五器に五器被(ごきかぶり)の連想も働いていたか。ゴキブリと鈴虫、似てないけど。
十四句目
五器ふけばはやすずむしの思はるる
我が居る所は福島の先 惟然
福島という地名が唐突だが、「拭く」からの縁か。今だったら仙台市の虫は鈴虫(昭和47年制定)だが、宮城野の鈴虫が当時有名だったかどうかはわからない。
十五句目
我が居る所は福島の先
終夜(よもすがら)いふた事みなうそでない 惟然
大阪の淀川河口に西成郡福島村があったが、備中での夜を徹しての俳諧で「我が居る所は福島の先」というのは、大阪の先という点では嘘ではない。
十六句目
終夜いふた事みなうそでない
どうでも是は薪がふすぶる 正興
「どうでも」は「それにつけても」と同様、話題を転換する時の言葉で、これを使えばどんな句でもつく万能の付け句が作れる。夜もすがら語り明かしたことが本当か嘘かはともかく、薪はくすぶっている。
「終夜いふ」を「語る」と同様に取れば、恋の句ともいえないこともない。
十七句目
どうでも是は薪がふすぶる
花花花散と盛はいつの比 正興
「いつの比(ころ)」に「どうでも」と付く。花の定座。
十八句目
花花花散と盛はいつの比
遊びはじめの若菜なるべし 惟然
「いつの比」を「いつのことやら」というまだまだ先という意味にして、正月の若菜摘みにもってゆく。
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