二の懐紙に入る。
十九句目
巣おろす児の登る腰板
陽炎に眠気付たる医者の供 丈草
(陽炎に眠気付たる医者の供巣おろす児の登る腰板)
前句の子供の遊ぶ情景にうたた寝する医者の供と、春の長閑な頃の響きで付けた句。
医者の供というと天和の頃に流行した仮名草子『竹斎』のにらみの助が思い浮かんだかもしれない。芭蕉も、貞享元年、『野ざらし紀行』の旅の途中で、
狂句木枯の身は竹斎に似たる哉 芭蕉
と詠んでいる。
二十句目
陽炎に眠気付たる医者の供
新茶のかざのほつとして来る 芭蕉
(陽炎に眠気付たる医者の供新茶のかざのほつとして来る)
「かざ」は香りのこと。「ほつと」というのは今日のような「一息つく」の意味もあるが、困りきったという意味で使われることもある。
中村注に「ふわりとあたたかく匂ってくる」とあるのは今日的な語感で、当時もそういう風に用いられていたのかどうかは良くわからない。引用している『附合評注』(『芭蕉翁付合集評註』佐野石兮著、文化十二年のことか)には、
「医者は内へはいりて長ばなしをしてゐる、表に僕のひとりねぶりゐる三月末の頃、昼の八ツ過なるべし。うちのあるじも中よき医者にて、ともにうちかたらひ、新茶など出してもてなすに、その匂ひのほつと来たる也」
とある。
『附合評注』の時代は煎茶だったが、芭蕉の時代の新茶は番茶で、採れたお茶の葉をかなり原始的な方法で淹れたもので、そんな高級なものではないから、医者だけがお茶を飲んでお付の者はその香りだけということではなかっただろう。うとうとしていると誰かがお茶を持ってきてくれて、その香りのむわっとした感じが俳諧だったのではないかと思う。
元禄時代のお茶事情はまだまだ調べなければならないことが多く、今後の課題にしたい。
「陽炎」にしても「新茶」にしても、なかなか難しく奥の深い季語だと思う。
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