今日も暑かった、ってこの時期はだんだん他の言葉が浮かばなくなってくる。
とりあえず、「柳小折」の巻の続き。
十五句目
怱々やめにしたる洗足
打鮠を焼と鱠と両方に 酒堂
(打鮠を焼と鱠と両方に怱々やめにしたる洗足)
鮠(はえ)はハヤともハヨとも言い、ウィキペディアによれば「日本産のコイ科淡水魚のうち、中型で細長い体型をもつものの総称」だという。今日の特定の種に相当するものではなく、ウグイ、オイカワ、カワムツなどを指すようだ。「打鮠(うちはえ)」は中村俊定校注には「打網で捕った鮠の意か。」とある。
川で捕まえた魚を焼き魚と鱠にして食べるとなると、殺生になる。足を洗うのはやめておこう、ということになる。ネットの語源由来辞典で「足を洗う」を見ると、「裸足で修行に歩いた僧は寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行いをやめる意味で用いられるようになった。 その意味が転じ、現代では悪業・正業に関係なく、職業をやめる意でも使われるようになった、」とある。
美味しい焼き魚と鱠が食べたいから仏業に戻るのは後にしよう、ということか。
十六句目
打鮠を焼と鱠と両方に
黒みてたかき樫の木の森 素牛
(打鮠を焼と鱠と両方に黒みてたかき樫の木の森)
樫はブナ科の常緑樹で照葉樹林を構成する木で、神社などで自然のままに残されている鎮守の森にも多い。打越の「洗足」の仏教に対し、神道の森へと違えて付けている。もっとも「洗足」だけでは釈教にならないように、「森」だけでは神祇にはならない。樫の森の中の川なら、魚もたくさん取れそうだ。
十七句目
黒みてたかき樫の木の森
月花に小き門ンを出ッ入ッ 芭蕉
(月花に小き門ンを出ッ入ッ黒みてたかき樫の木の森)
さて、花の定座で、初裏にはまだ月が出てなかった。だからここで両方一気に出すことになる。
「月花に黒みてたかき樫の木の森の小き門ンを出ッ入ッ」の倒置となる。
前句を樫の木の森に住む隠者の句にして、月花を愛でると展開する。軽みのリアルなあるあるネタの連続からすると、やや古めかしいベタな感じもするが、難しいところからの月花への展開の技術は評価できる。
『去来抄』には、
「此前句出ける時、かかる前句全体樫の森の事をいへり。その気色(けしき)を失なハず、花を付らん事むつかしかるべしと、先師の付句を乞けれバ、かく付て見せたまひけり。」
とある。 弟子たちに頼まれての、こういう時にはこうやって付けるんだよという模範演技だったようだ。
十八句目
月花に小き門ンを出ッ入ッ
巣おろす児の登る腰板 酒堂
(月花に小き門ンを出ッ入ッ巣おろす児の登る腰板)
今回は酒堂さんの大活躍のようだ。初の懐紙の終わりの時点で五句目になる。
ここで言う児(ちご)は子供のことでお稚児さんではないのだろう。背の低い子供が小さな門の軒にある鳥の巣を取り除くのに腰板に登っているわけだが、「月花に児の小き門ンを出ッ入ッ腰板を登り巣おろす」の倒置になるので芭蕉の前句に比べてはるかに複雑で込み入っていてわかりにくい句になっている。この辺が力量の差だろう。
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