2017年7月8日土曜日

 テレビで藤井四段のことをやっていたが、思うに人間というのは常識だとか過去の経験だとかに囚われて、無数の最善手を捨ててきたのではないかと思う。ちゃんと自分の頭で考えて、その捨ててきた手の一つでも掬えれば天才になれるのではないかと思う。
 AIが強いのは、全部自分で考えているからだと思う。AIは人間の作った過去の概念を知らず、膨大なデータの中から独力で未知の概念を発見する。それは全ての天才の中の天才がすることだ。
 AIが俳諧を読んだなら、現存する全ての俳諧を入力してやれば、これまで文学者のまったく思いもよらなかった独自の概念をそこから発見するだろう。残念ながら私にはそれはできない。ただ、暇に任せて一つ一つ地道に俳諧を読み解き、経験値を重ねてゆくだけだ。芋洗う俳諧AIならば読み解かん。

 そういうわけで、とにかく今は経験値稼ぎということで、惟然撰『二葉集』の一折(半歌仙)に挑戦しようと思う。『炭俵』や『奥座敷』を越える超軽みの風は、ある意味で俳諧の最終形態だったのかもしれない。とにかく、これを最後に俳諧の新たな実験は終わり、後は過去の焼き直しになっていったからだ。
 まずは発句。

 此さきは何ンであらふぞ夏木立   正興

 正興(まさおき)は備中井原村の人で、名字は柳本。井原というと昔は笠岡との間に軽便鉄道が走っていた、というのは筆者が中学高校の頃「テツ」だった時の知識。今ではそれとまったく関係ない井原鉄道というのがあるらしい。
 惟然が元禄十五年に播州へ行き、千山や良々との交流も深めてゆく。この時備中や美作へも足を伸ばし、正興との交流も深めてゆく。
 発句の意味は、旅の途中の惟然のことを思い、この夏木立の向こうには何が待っているのか、と問いかけたもの。それに対し惟然の脇はこう答える。

   此さきは何ンであらふぞ夏木立
 あのように只月すずしかれ     惟然

 要するに、夏の夜の月の涼しさに誘われただけで何があるわけでもない。正興の歓迎の気持ちに対し、目的はもっと先にあるとは言えない。この先特に何があるわけでもない、今が一番大事だ、というわけだ。
 両吟の常として惟然が第三を詠む。

   あのように只月すずしかれ
 そこもとの替た事とせり付て    惟然

 まさにその場所の変わった事と食いついてみれば、何のことはない、只月が涼しかっただけだと、どこの何が変わっていたのかわからない何となくあいまいな内容だが、会話の中ではいかにもありそうというのが惟然風の持ち味なのだろう。
 四句目。

   そこもとの替た事とせり付て
 ぼんどをろ(盆燈籠)より細工ほつほつ 正興

 「ほつほつ」は「ぼちぼち」か。
 変わった事といえば、盆燈籠に少しづつ細工を凝らしてゆくことか。

0 件のコメント:

コメントを投稿