今日は新暦七夕で、珍しく晴れて月が出ている。もっとも、都会ではどのみち天の川は見えないが。
ちなみに今年の旧暦七夕は八月二十八日でかなり遅い。閏五月があるせいだ。名月は十月四日だという。
野童亭
七夕や秋を定むるはじめの夜 芭蕉
も今でいえば八月の終わり頃の句だったか。(「こよみのページ」によれば八月二十七日。)閏五月のあった元禄七年の句。
空も風もすっかり秋めいているのになかなか暦の上で秋にならなかったというのが根底にあったのだろう。七夕が来てようやく本当の秋の夜となった。
この句は『三冊子』「あかさうし」に、
「此句、夜のはじめ、はじめの秋、此二に心をとどめて折々吟じしらべて、数日の後に、夜のはじめと究り侍る也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,114~115)
とあるため、ネットで検索するとみんな「夜のはじめ」の形で出てくる。
ただ、この岩波文庫の潁原退蔵の注にもあるとおり、諸本が一致してなくて、帝国図書館蔵本には「夜のはじめ、はじめの夜此二心をとどめて‥‥はじめの夜と究り」になっているし、杉浦氏蔵書入本には「夜のはじめ、はじめの秋、此二に心をとどめて‥‥夜のはじめと究り」となっているが、そこに、
「句毎に宜方を書たる中に此一句計直らざるさきをかけるいぶかしもし夜のはじめに定たるとかける方をあやまれるか後の君子猶味へ給へ」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,115)
と頭書があるため、安易にネットで流布している形をコピペしない方がいいだろう。
「はじめの夜」の方は風国編『泊船集』(元禄十一年刊)にある形で、これに対し「夜のはじめ」の方は芭蕉の遺稿で各務支考が元禄八年に出版した『笈日記』にある形なので、「夜のはじめ」は草稿の段階で、「はじめの夜」の方が完成形ではないかというわけだ。
実際句を見てみると、
七夕や秋を定むる夜のはじめ
だと「七夕は秋を定むる夜のはじめや」で「秋を定むる」が「夜」に掛かるため、「はじめ」が強調されて、「はっきりと秋になった夜が始まるのだろうか」という意味になる。
これに対し、
七夕や秋を定むるはじめの夜
だと、「七夕は秋を定むるはじめの夜や」で、「夜」が強調されて、「はっきりと秋になった最初の夜だろうか」という意味になる。
七夕が暦の上で秋になってからの最初の夜の祭りだという、その夜が大事だというのであれば「はじめの夜」の方が勝っていると思う。
山梨の伊藤洋さんの芭蕉dbでは、「初案の『はじめの夜』が句意には一致している。」としている。「夜のはじめ」に窮まったとしながらも、「はじめの夜」を支持している。
そういうわけで今年は四ヶ月もある長い夏。まだまだじっくりと夏の俳諧が読める。
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