ようやく梅雨明けとなった。
おとといは古代東海道の旅で柏から布佐まで歩いた。布佐は震災の年に芭蕉の足跡を尋ねて鹿島詣でに行った時にも、木下街道からなま街道を歩いた時に通っている。あの時はまだひびの入った石塀がそのままだったり、屋根にブルーシートがかけてあったりした。今は震災を思わせるものもなく静かだった。
それでは「柳小折」の巻の続き。
十句目
瘧にも食はいつものごとくにて
大工の邪魔に鋸をかる 支考
(瘧にも食はいつものごとくにて大工の邪魔に鋸をかる)
これは難しいというか、よくわからない。
『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の中村注には、
「大工の仕事中、時々鋸を貸してくれといわれて迷惑しているさま。前句の人を常は丈夫な人と見て時々細工事などするを思いよせた付。」
とあるが、それの何が面白いのかがよくわからない。大工さんから鋸を借りるというのはよくあることだったのか。
室町時代には大型の製材用の鋸が普及したが、細工用の小さな鋸は江戸時代に入ってから発達したようだが、芭蕉の時代の鋸は果たしてどのようなものだったのか。その辺から考えてゆく必要があるのかもしれない。
多分、鋸は貴重なもので、大工以外の一般人が持つものではなかったのだろう。斧や鉈はあっても、鋸は一般人にはかなり珍しいものだったのではないかと思う。だから、鋸を借りて何かをするというよりは、見せてくれだとか、試しに何かを切らせてくれというようなものだったのかもしれない。
十一句目
大工の邪魔に鋸をかる
竹樋の水汲かくる庫裏の先 素牛
(竹樋の水汲かくる庫裏の先大工の邪魔に鋸をかる)
「庫裏(くり)」はお寺の僧の居住スペースで、大寺院となると部屋がいくつもある立派な建物が多いが、小さな寺だと普通の家に近い作りだという。
食事もここで行うので厨房もあり、竹樋で山の湧き水を引いて来ることもあるのだろう。
ここでも宮大工の使う大事な鋸を、薪を切るのに使わせてくれとか、結構無茶な話があったのかもしれない。
十二句目
竹樋の水汲かくる庫裏の先
便をまちて酢徳利をやる 酒堂
(竹樋の水汲かくる庫裏の先便をまちて酢徳利をやる)
「便(たより)」は頼るもの、という意味から「ついで」「よい機会」という意味もある。山の水を樋で引っ張っているようなお寺だから、山奥の寺ということにしたのだろう。誰か町の方から尋ねてくる人がいたら、ついでに酢徳利を預けて酢を買ってきてもらおうということか。もっとも、表向き酢徳利だけど、こっそり酒でも、ということかもしれない。
十三句目
便をまちて酢徳利をやる
降出しも忘るる雨のじたじたと 丈草
(降出しも忘るる雨のじたじたと便をまちて酢徳利をやる)
いつ降りだしたかも忘れてしまうほどのじとじとした長雨に、徳利を持って買い物に行くのも面倒くさい。誰か来ないか。
十四句目
降出しも忘るる雨のじたじたと
怱々やめにしたる洗足 去来
(降出しも忘るる雨のじたじたと怱々やめにしたる洗足)
「怱々」にはあわただしいという意味と、今日でも使われる省略してといういみがある。降り続く雨でどうせまた汚れるのだからと、足を洗うのも簡単に済ませるということか。
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