2017年7月27日木曜日

 なんかもう秋が来たみたいなどんより曇った天気で、台風のせいなのか。
 さて、『日本の味 醤油の歴史』(林玲子・天野雅敏編、2005、吉川弘文館)が届いたので、「柳小折」の巻の二十一句目に行ってみよう。

 二十一句目

   新茶のかざのほつとして来る
 片口の溜をそっと指し出して   酒堂
 (片口の溜をそっと指し出して新茶のかざのほつとして来る)

 片口は注ぎ口のついた器で、溜(たまり)はたまり醤油のことと思われる。『日本の味 醤油の歴史』によれば、「おもに愛知・岐阜・三重の東海三県で造られ、使用されている醤油」で、「濃口醤油の製法から小麦を除いたものと考えればよい」とのこと。そして、「大豆という単一の穀物から造られるという意味で、原初的な「穀醤」から派生したことが想定され、醤油の原点ともいわれる。ただ、商品化されたのは一六九九(元禄十二)年であるとする説もある。」(p.174)とある。
 一六九九年というのはあくまで一つの説だから、この巻の巻かれた元禄七年に溜まり醤油がすでに市販されていた可能性もあるが、商品化されてなくても地元で細々と消費されていたと考えれば問題はない。
 元禄期はようやくちょうどヤマサの初代浜口儀兵衛が銚子で醤油作りを始めた頃で、醤油の販売網はまだ全国には広がってなかったと思われる。
 新茶の匂いに醤油を付けるのは、匂いつながりで付ける響き付けではないかと思われる。当時都市部で広がりつつあった濃口醤油ではなくたまり醤油にしたのは、京ではなく美濃や伊勢など方面の田舎臭さをだすためかもしれない。

 二十二句目

   片口の溜をそっと指し出して
 迎をたのむ明日の別端      去来
 (片口の溜をそっと指し出して迎をたのむ明日の別端)

 中村注によれば、別端(わかれば)は「夫婦離別の際」だという。だとすると、恋になる。
 離別と言っても離婚ではなく(江戸時代中期までは離婚率は意外に高かったともいう)、これは「迎えをたのむ」ような別れだから、参勤交代などでの旅立ちでの離別なのだろう。ただ、「片口の溜」のどういう意味があったのかはよくわからない。

 二十三句目

   迎をたのむ明日の別端
 薄雪の一遍庭に降渡り      支考
 (薄雪の一遍庭に降渡り迎をたのむ明日の別端)

 薄雪が降ったからわざわざ駕籠などの迎えを頼むということか。

 二十四句目

   薄雪の一遍庭に降渡り
 御前はしんと次の田楽      芭蕉
 (薄雪の一遍庭に降渡り御前はしんと次の田楽)

 前句の「一遍」を一遍上人のことと取り成して、境内での田楽を付ける。一遍上人は田楽を布教に取り入れ、念仏踊りを流行させた。これが盆踊りの起源とも言われている。

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