今夜は体風が通り過ぎるという。さっきは雨が激しかったが、今は静かだ。これが嵐の前の静けさというやつか。
九句目
一里こちから泊り見にやる
腹癖にきりきり痛ム節ッ替 楚舟
(腹癖にきりきり痛ム節ッ替一里こちから泊り見にやる)
これは難しい。「腹癖」も「節ッ替」も辞書に載っていない。
「癖」は本来腹の病気の意味で、「腹癖」は同語反復でもある。腹の中の胃腸が一方に傾いて片寄るところから転じて「くせ」の意味になる。「腹癖」の読み方はよくわからないが、病気の名前なら「ふくへき」だろう。
「節ッ替」は単純に読めば季節の変わり目で、吉田義男さんはそのように解釈しておられるし、ほかに思いつかないので一応それに従っておく。「ツ」という送り仮名があるので読み方は「せつかはり」だろうか。
季節の変わり目で腹がきりきり痛むので、急遽宿を探すことになり、一里手前から宿場の様子を見に行き、病人が泊まるのに良さそうな宿を探す。何か、芭蕉の最後の旅の情景のような気もする。
十句目
腹癖にきりきり痛ム節ッ替
窪ヒ所へ木の葉吹込む 子珊
(腹癖にきりきり痛ム節ッ替窪ヒ所へ木の葉吹込む)
「窪ひ」は窪の形容詞化した「くぼし」が「くぼい」になり表記する際に「窪ヒ」になったものと思われる。
腹の中に何かが詰まっている様子を、季節変わりの景物のイメージで表したらこんな所か。
十一句目
窪ヒ所へ木の葉吹込む
昔より稲荷の前の挽細工 杉風
(昔より稲荷の前の挽細工窪ヒ所へ木の葉吹込む)
「挽細工(ひきざいく)」は轆轤(ろくろ)を使って木を回転させ、丸く削ってゆく細工物のこと。お稲荷さんの神殿にはこういう引き細工の物が用いられていたのだろう。
ただ古い神社なので荒れ果てていて、境内はもとより神殿の床などにも至る所にに窪みができてたりして、そこにご神木の公孫樹の葉や何かが溜まってたりした。
荒れ果てた神社は、むしろ当時としては修復を求める意味合いの方が強く、そこに風情を感じるようになったのはもう少し時代が下ってからではないかと思う。
芭蕉が『野ざらし紀行』の旅のときに、熱田神宮の荒れ果てているのを見て、
「社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすえて其神と名のる。よもぎ、しのぶ、こころのままに生たるぞ、中なかにめでたきよりも心とどまりける。
しのぶさへ枯て餅かふやどり哉 芭蕉」
と詠んでいる。その後『笈の小文』の旅で熱田を訪れた時は修復工事が終わりすっかり見違えるような姿になり、
熱田御修覆
磨なをす鏡も清し雪の花 芭蕉
と詠んでいる。
杉風もこの句も、古い稲荷神社が荒れ果てているのを悲しむもので、「滅びの美」なんてつもりはなかったと思う。
十二句目
昔より稲荷の前の挽細工
唯着のままて娘ほしかる 桃隣
(昔より稲荷の前の挽細工唯着のままて娘ほしかる)
さて、荒れ果てた神社でしんみりした気分になったあとはガラッと気分を変えるために、こういうときは卑俗に落とすことが多い。
前句の「挽細工」を細工物のことではなく細工師に取り成しての展開だ。神社の門前には神具を作るための挽き物師が住んでてもおかしくはない。それがあとを継ぐ息子のための婚活をする。ややこしいしがらみを避けるためか、親があまり口出さないような「着のまま」できてくれる嫁がいい、と。(当時は娘の親がいろいろ口出して離婚になることが多かった。)
ここで思い浮かぶのが、元禄七年九月二十七日、園女亭興行の芭蕉最後の俳諧興行、「白菊の」の巻の
杖一本を道の腋ざし
野がらすのそれにも袖のぬらされて 芭蕉
の次のこの句だ。
野がらすのそれにも袖のぬらされて
老の力に娘ほしがる 一有
偶然にもここにも「娘ほしがる」という言葉が見られるが、この「取あげて」の巻が元禄七年の夏だとしたら、こちらの方が先ということになる。
あるいは、芭蕉がこの「取あげて」の巻のことを知っていて、「白菊の」の興行で芭蕉のしんみりとした句のあと一同付けかねて、ヒントとしてこの句を引き合いに出したのかもしれない。
だとしたら、この「娘ほしがる」のフレーズは芭蕉をも感心させた一句だった可能性もある。
俳諧興行は、どこまでも当座の機知が求められる。場の空気を読んで、重い付け合いが続いた後はさらっと流すような遣り句をし、しんみりした後は卑俗に笑いを取って当座を和ますことも重要なことだった。
とにかく吉田義雄氏が、
「ここで、この歌仙の全体を見ることを止めよう。およそこの様で芸術的に心を洗われる作品ではない。解に及ばぬわかり切った句がたくさんあること、全体に平板なこと、句意も難解なものがあること、付げ運びの渋ること。芭蕉の眼を経るどころか、芭蕉の説く所を体しての作とも見えない。『かるみ』をどう理解したかを、とうてい論ずる段階ではない。」
と言うような作品ではなかったことは、この鈴呂屋こやんが保証する。
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