2017年7月14日金曜日

 結局まとめていうと、芭蕉が行き着いた境地というのは、多くの人の共通体験だったりよく噂に聞くことだったりする、いわゆる「あるある」ネタでもって、多くの人の共感を得ると同時に、そこから古典にもしばしば表現されてきた人類不易の情を喚起させることだった。
 この不易の情の喚起に関しては、芭蕉の弟子たちはなかなか十分に再現できなかった。ただの「あるある」、日常の風景の一場面を切り取るまではできても、そこから先にはなかなか進めなかった。
 惟然の超軽みの風も、その点では越えられない壁だったといえよう。
 芭蕉の場合、単なるあるあるを越えて、しばしば人類の普遍的な理想にまで到達する。身分のわけ隔てなく多様な人々が一同に花の下で語り合う世界、それは美というよりは社会の理想ですらあった。
 そして猿に小蓑を着せ、どんなに落ちぶれても雨露をしのぐ人としての最低限の権利を叫んだ。それは様々な西洋哲学を学んだ近代の俳人にもまねはできなかった。理念はあっても、それを伝える「あるある」を思いつかなかったからだ。
 近代文学は多くの人の共通体験を探るのではなく、あくまで個人の体験を中心としたため、結局は作者の独りよがりの句が多く、作者のことを十分理解しないと、句の意味すらわからないような状態になった。内輪の句会ではそれでよくても、作品として多くの人に親しまれる句は皆無だった。
 高い理想を身近な「あるある」で表現する、それは未だに芭蕉だけがなし得た業だったのかもしれない。もし将来それができる作者が現れたなら、芭蕉のようになれるかもしれないから、若い人にはぜひ挑戦してほしい。もちろん外国の人も試して欲しい。ひょっとしたら日本を上回る俳句文化を生み出せるかもしれない。
 

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