今日は台風の影響で前が見えないほどの土砂降りの雨になった。
さて、「柳小折」の巻は二の裏に入る。
三十一句目
岩にのせたる田上の庵
正月もいにやれば淋し廿日過 酒堂
(正月もいにやれば淋し廿日過岩にのせたる田上の庵)
サザエさん症候群というのがひところはやった。日曜の夜のサザエさんを見ると、休みももう終わりかと憂鬱になるというわけで、昔の人も正月も廿日過ぎるとそろそろ農作業が待っているというので憂鬱になったりもしたのだろう。
一句の意味としてはそれでいいが、問題は前句との関係だ。一句として完成された感じなので若干手帳(あらかじめ句を作って用意しておくこと)臭い感じもするが、芭蕉さんの前でさすがにそれはないだろうし、前句からの発想だと連衆のみんなが納得したから、手帳の疑いはなかったのだろう。
問題は付け筋だが、意味がわかりにくいので心付けではなさそうだし、付け合いとなるような単語の組み合わせもはっきりしないから物付けでもなさそうだ。ということは匂い付けになる。
正月の二十日過ぎの寂しさは、特に庵に暮らす人に特長的なことではないので、庵の主の位で付けたとは思えない。となると、単なる寂しさつながりで付けた響き付けか。
ただでさえ淋しい岩の上の庵は、正月も二十日過ぎればなおさら淋しい。一応そういうことにしておこう。
三十二句目
正月もいにやれば淋し廿日過
種漬に来るととの名代 去来
(正月もいにやれば淋し廿日過種漬に来るととの名代)
種漬けはコトバンクによれば、「発芽を促すため、苗代にまく前に種籾(たねもみ)を水に浸すこと。種浸し。」
ととの名代というのは父親の代理ということか。正月二十日過ぎでそろそろ農作業が始まるという意味では、苗代作りの前に苗代に蒔く種を水につけておく作業の始まりということになる。正月二十日と種漬けがこの場合物付けになる。そうなると、なぜ「ととの名代」ということになる。「名代」と「苗代」を掛けたのか。
三十三句目
種漬に来るととの名代
咲花の片へら残スしほ鰹 素牛
(咲花の片へら残スしほ鰹種漬に来るととの名代)
春の句が二句続いたので、春の句を強制的に五句引っ張るよりは、ここで定座を繰り上げて花を出すのが正解だろう。
ここはまず「とと」を魚の意味に取り成して塩鰹を出す。塩鰹は「しほがつお」が「しょうがつお」に通じるというので本来正月のご馳走だったという。今でも西伊豆の名物だという。
「名代」は「なだい」と読むと有名だとか名高いという意味になる。種漬けの頃後れて送られてきた正月の名高い魚はどうすればいいかというと、花見の頃までとっておいて食べればいい、ということになる。
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