2017年8月28日月曜日

 暑くなったり涼しくなったり、相変わらずはっきりしないが、ツクツクホウシがまだあまり鳴いてない所を見ると、まだまだ残暑は続くのかな。ジージー、ミンミン、ショワショワばかりだ。
 さて、「秋の夜や」の表六句の続き。第三。

   月影よこにはいる引窓
 漸(やや)寒き旅籠の宿に湯をたてて 才麿

 労働の場面から旅体に転じて、宿屋で風呂につかりながら名月を見るのはなかなか乙なものだ。
 特に隠士だとか侘び人とかの風流というわけではなく、こういう庶民的な楽しみを特にひねりもなく詠むのも、案外蕉門では見られないことかもしれない。

 四句目

   漸寒き旅籠の宿に湯をたてて
 近くにきこゆ波の鳴ル音      海牛

 月夜の和んだ様子から、波の音のすさまじい不安な風景へと転じる。
 二年後の元禄七年の蕉門の俳諧、『紫陽花や』の巻の八句目、

   住憂て住持こたへぬ破れ寺
 どうどうと鳴浜風の音    杉風

にも似ている。ただ、「どうどうと」というオノマトペの使い方や、波の音ではなく風の音としたあたりも杉風の力量を感じさせる。
 逆に海牛のようなひねらない素直さが大阪談林の風とも言えよう。
 海牛という作者についてはよくわからない。姫路あたりの人か。

 五句目。

   近くにきこゆ波の鳴ル音
 窃(しのび)武者樵のかよふ道に馴レ 尚列

 表六句だから、ここらで盛り上げなくてはいけない所だろう。ここで忍者を登場させる。
 忍びの者にふさわしく、樵くらいしか通らないような細い獣道のような道にも通暁し、今日もそこを通って情報収集に出かける。波の音も足音をかき消してくれて好都合だ。
 尚列も姫路の人らしい。詳しいことはわからない。占立、海牛、尚列の三人の名は、後の『二葉集』や『花の雲』には見られない。

 挙句

   窃武者樵のかよふ道に馴レ
 光のちがふ燐(きつねび)の色   執筆

 執筆は連歌や俳諧の興行の際の筆記係で、挙句などに一句だけ詠むことが多い。「主筆」ともいう。
 燐(きつねび)は自然界での原因不明の火を顕すもので、鬼火とも呼ばれる。それを人間の霊魂ではないかと解釈して「人魂」と呼ばれたりもする。
 『鳥獣人物戯画』巻一には狐が尻尾の先に火を灯す絵が描かれていて、こうした火は古くから狐の仕業だと思われていたようだ。
 近代では井上円了が骨に含まれているリンが低温で自然発火したのではないかという説を唱え、今日広く人魂の正体として流布している。
 「燐」という文字は左右に開いた足の上に炎の並ぶ形象から来ていて、そこからよろよろと歩くように移動する火や、しばしば列になって現れる火を表していた。つまり狐火という現象が存在していて、それに当てられた字と思われる。近代に入って、この字はおそらく狐火の原因と思われるphosphorus、元素記号Pの訳語に用いられたと思われる。
 ただ、狐火は今日では現れることがないので、果して狐火がリンなのかは検証できない。狐火はやはり謎だ。
 ただ、この句でいう狐火は「光のちがふ」というから、本物の狐火ではなく、忍者が作り出す似せ物の狐火ではないかと思われる。蕪村の時代には怪奇趣味が俳諧に取り入れられたりしたが、元禄の頃はまだ妖怪ブームもなく、案外現実的だった。
 『椎の葉』の俳諧は蕉門とは違った面白さがあるので、もう少し読んでみたい。

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