台風が近づいていて、時折強い雨が降る。
未明には部分月食があるらしいが、見えないだろうな。
月食があるということは満月だが、まだ水無月の満月。立秋だがそれと関係なく俳諧ではまだまだ夏が続く。そこが近代俳句と違う所だ。近代俳句だと立秋で区切るから広島の原爆が夏で長崎の原爆が秋になる。以前詩人会議にいた頃、「原爆は夏でも秋でもいらないよ」なんて書いたこともあったか。
元禄七年六月二十一日の興行の発句、
秋ちかき心の寄や四畳半 芭蕉
の句も、立秋がとっくにすぎたのになかなか俳諧の秋にならないことから、「秋ちかき」で秋ではないけど秋の心を詠んだのかもしれない。
その「秋ちかき」の巻で久しぶりに猫ネタを。
桶もたらいもあたらしき竹輪(たが)
投うちをはづれて猫の迯(にげ)あるき 木節
桶や盥の修理をやっているのか。直ったばかりの桶や盥には早速猫が入りたがる。お客さんから預った大事な商品だからと物を投げつけて猫を追っ払うものの、猫も素早くそれをかわす。
投うちをはづれて猫の迯あるき
首(つぶり)にものをかぶる掃除日 支考
表向きはほっかぶりをして掃除をしていると猫がやってきたので、それを追っ払ってという光景だが、これは幻術で、言外に首にものをかぶった猫、つまり手拭をかぶって踊る猫又を連想させる。芭蕉が「小蓑をほしげ也」という言葉から蓑笠着た猿を連想させたのと同じ手法だ。さすが支考さん。
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