ワールドカップの出場が決まった。
ジョホールバルの歓喜の時は夜中まで起きていて、勝った瞬間には声を上げてガッツポーズをしたものだが、何となくワールドカップに出れるのが当たり前になってしまったのか、試合中1-0でうとうとして、気づいたら勝っていた。
次々と新しい選手が出てきて、まだしばらく常連国でいられるかな。後続の中国がいまひとつ延びなかったし、北朝鮮もスポーツどころではないようだし。
さて、俳諧のほうだが、表六句二つ読んでウォーミングアップも終わりということで、歌仙の方へ行ってみよう。『椎の葉』の「立出て」の巻。底本は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(一九九四、岩波書店)。
発句。
秋興
立出て侍にあふや稲の原 才麿
姫路まで旅したときの一場面だろう。宿を出て少し行くと収穫を前にした黄金色の田んぼが一面に広がっていて、そこでなぜかお侍さんに遭う。紀行文を見ても特にお侍さんに遭ったという記述はないから、特に誰ということはないのだろう。空我や千山も商人のようだし、一座にお侍さんがいてという挨拶の意味でもなさそうだ。蕉門には結構名だたる武士がいたりするが、ここは庶民の大阪談林だ。
特定の誰かを指すのでないなら、ここは単に早朝の田んぼの真っ只中、こんな所になぜお侍さんが、というだけの句ではないかと思う。
何事ぞ花みる人の長刀 去来
の句だと、身分分け隔てなく楽しみ花見の席で何で無風流なという風刺が込められているが、そうはいっても去来は元武士。才麿の句はそうした風刺も含まれず、日常の意外な風景としてお侍さんが描かれている。
脇
立出て侍にあふや稲の原
眠リをゆづる鵙の雲櫓(とまりぎ) 尚列
鵙(モズ)というとモズのはやにえで、秋になると捕らえた獲物を枝に刺して、そのまま食べずに放置したりする。殺生をする罪深いモズは武士の姿にも重なる。その意味でもこの脇は、お侍さんはゆっくり寝ててください、私どもは旅立ちます、という意味でいいのだろう。
武士というと、宮本武蔵の描いた『枯木鳴鵙図』は有名だ。そういえば宮本武蔵は播磨の人だとも言われている。
第三
眠リをゆづる鵙の雲櫓
後の月その窓程に照ぬきて 海牛
「後の月」は九月の十三夜のこと。月が明るくてその光が窓一杯に広がっている。月その物の大きさが窓程もあるというのでは大げさになる。ここは田毎の月だからといって月がたくさん写っているのではなく、あくまで月で明るくなった空を写しているというのと同じに考えた方がいいだろう。
月が明るいから止まり木に眠っているモズの姿も映し出される。
四句目
後の月その窓程に照ぬきて
夜習(よならひ)仕まふ時に成けり 千山
千山さんはよほど勤勉な人だったのか。表六句の発句、
秋の夜や明日の用をくり仕廻 千山
とかぶっている。月が明るいからそろそろ勉強も終わりにしようか。
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