2017年8月6日日曜日

 今日は広島原爆投下の日で、あれから72年経った今が平和なのは何よりだ。現実的にはすぐに核兵器をなくすことなんてできないだろうけど、使用できない状況を今後も続けてゆくことが大事だ。世界がこれからもよりいっそう豊かで自由になりますように。戦争は独裁と貧しさから生まれる。
 大谷篤蔵さんの『芭蕉連句私解』(一九九四、角川書店)が届いたのでぺらぺらとめくっている。
 「牛流す」の巻の二十二句目、

   売に出す竹の子掘ておしむらん
 茶どきの雨のめいわくな隙      諷竹

 ここで『日次紀事(ひなみきじ)』(黒川道祐編、延宝四年)の四月の条を引用している。

 「此ノ月茶ヲ製ス。家々茶ヲ蒸シ、且ツ葉ヲ択ル。‥‥凡ソ茶ヲ製スルコト前後ノ次第有リ、故ニ摘茶ノ時、蒸茶ノ時、培炉ノ時、択茶ノ時ト謂フ」

 ここで、当時は四月に摘茶、蒸茶、焙炉、択茶を行っていたのがわかる。

 蝸牛(ででむし)も共に熬らるる新茶哉 有隣(『ばせをだらひ』)

の句は、この焙炉の過程と思われる。
 これとともに大谷さんは『萬金産業袋』(三宅也来著、享保十七年)も引用している。

 「せんじ茶の製しやうは、三月下旬四月へかけ、その所々の薗のはりの時節を見てつむ。摘てよく葉撰して、笊甑にてむしたて、それを、もみ盤とて、竹に縄をあミ付たるあり、是にてよく力をいれてもミて、筵にひろげ日にほし、焙炉にかくる。また、ふと蒸茶に懸り、俄に雨天に成たる時ハ、蒸かけたる茶そのままにて置がたけれバ、むし上ゲて揉て、ぬれながらほいろにかけて焙じ仕あぐる也」

 『日次紀事』は碾茶の製法で、『萬金産業袋』は永谷宗円が元文三年(一七三八)に煎茶の製法を確立する直前の揉み茶の製法と思われる。
 『日本茶の歴史』(橋本素子、2016、淡交社)は、この「俄に雨天に成たる時」の製法が、煎茶の製法につながったという。

 「宇治製法が葉茶を蒸して、焙炉の上で揉みながら乾燥させて仕上げるものであることからみれば、違いは焙炉の上で揉むことだけになる。」(『日本茶の歴史』p.145)

 この煎茶以前の揉み茶の製造工程に、「是にてよく力をいれてもミて、筵にひろげ日にほし」とあるところから、「茶筵」がそのときの筵だと説明されてきたのだろう。ただ、芭蕉の時代、元禄七年以前にどの程度揉み茶が浸透していたかという問題になる。
 『農業全書』(宮崎安貞著、元禄十年)には、「唐茶」に関して、「そこには、鍋で炒る作業と、茣蓙・筵などの上で揉む作業とを交互に行う」(『日本茶の歴史』p.143)とあるらしい。また、その後、「茶を俵に収納しておく」(『日本茶の歴史』p.144)とあるあらしいから、「茶俵」も唐茶だった可能性がある。
 俳諧風流の徒は流行の先端を行っているから、いち早く隠元和尚の持ち込んだ揉み茶を受け入れていた可能性は十分にある。
 なお、「唐茶」の用例は、

 或ハ唐茶に酔座して舟ゆく蓮の梶 素堂(『虚栗』天和三年)
 江を汲て唐茶に月の湧夜哉    素堂(『其袋』元禄三年)

と思われる。
 なお、茶筵に関しては、

 茶むしろの中にたてたるのぼり哉  芦本『皮籠摺』
 茶筵や坊主あたまを振まはし    千船『一幅半』

の句がある。どういう情景なのか今の所わからない。茶は奥が深い。

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