今日も涼しい一日だった。
ようやく「柳小折」の巻もラスト三句。行ってみよう。
三十四句目
咲花の片へら残スしほ鰹
彼岸をかけてお隙ささやく 丈草
(咲花の片へら残スしほ鰹彼岸をかけてお隙ささやく)
花も咲き正月の塩鰹もまだ残っている。こりゃ花見するっきゃないというわけで、彼岸のお墓参りを口実に休暇をとろうとひそかに相談する。まだ飛鳥山などの公園の整備されてなかったこの頃は、花見というとお寺ということになる。
三十五句目
彼岸をかけてお隙ささやく
白粉をぬれども下地くろい顔 支考
(白粉をぬれども下地くろい顔彼岸をかけてお隙ささやく)
お彼岸に墓参りをというその女は、日焼けした顔を白く塗って、さながらコープスメイクだ。実は蘇った死者だったりして。
挙句
白粉をぬれども下地くろい顔
役者もやうの衣の薫 去来
(白粉をぬれども下地くろい顔役者もやうの衣の薫)
前句を役者の芝居の時のメイクとし、着るものに薫物をして、なかなかお洒落に一巻は終了する。花の定座を繰り上げることで無季の上げ句になり、挙句は何が何でも春の目出度さというマンネリをのがれている。
さて、『炭俵』や「紫陽花や」の巻の江戸の連衆の「軽み」を読んだ後だと、やはり京の連衆は何か違う。
ネタの新しさやリアリティーという点では、やはり江戸の方に軍配が上がるような気がするが、二表の展開にはやはり今日の歴史の重みを感じさせる奥行きが感じられる。特に二十七句目から三十句目あたりの展開は秀逸だ。
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