2017年8月30日水曜日

 今日もあちこちでゲリラ豪雨が降ってる。
 海の向こうではテキサスの水害で、トランプさんもミサイルどころではなかったようだ。あえてそのタイミングを狙ったのか。

 四句目

   薄月の舼にのせず漕出て
 土堤に長柄鑓(ながえ)の打つづきけり 空我

 前句を、薄月の中漕ぎ出すと取り成し、渡し舟に乗せなかったものを付け、薄月の中、長柄鑓を渡しに乗せずに漕ぎ出して土手に打つづきけり、となる。
 長柄鑓は足軽が集団戦で用いるもので長さ二間半(約4.5メートル)を越えるものもあったという。船に乗せるには長すぎたのだろう。

 五句目

   土堤に長柄鑓の打つづきけり
 心ある勧進的(まと)の小屋高く    空我

 勧進的は江戸時代に神社仏閣などで開催された、寄付を募るための射的会で、見物人も多くて大きな観覧席(見物小屋)が作られた。足軽の一団も参加しようと土手に鑓を置いてやってきたのだろう。

 挙句

   心ある勧進的の小屋高く
 湯茶をきらさぬ手廻しぞよき      才麿

 湯茶はお湯やお茶をという意味。大勢の人で賑わう勧進的興行で、お湯やお茶を切らさずにというのは、なかなか大変なことだ。そんなねぎらいの気持ちを込めてこの表六句は終わる。
 蕉門の句に比べると、平板な情景描写に終始し、いわゆる「あるあるネタ」にはなっていない。蕉門だったら「勧進的あるある」に持っていって笑いを取る所だろう。こうした作風はむしろ後の蕪村の俳諧に近いようにも思える。
 勧進的ではなく壬生念仏のネタだが、「むめがかに」の巻の十八句目に、

   町衆のつらりと酔て花の陰
 門で押るる壬生の念仏     芭蕉

の句がある。
 勧進的の小屋が高いのは単なる情景だし、それに「心ある」と人情に触れるところが大阪談林なら、都会の連中が桟敷を独占して花の陰で酔いしれているのに対し、地元の人たちは門のところで押し合いへし合いしているという「あるあるネタ」でちくりと風刺を込めるのが蕉門の風といえよう。
 発句の松茸に熱燗の取り合わせも、蕉門ならそれこそベタ(付きすぎ)だといって避けるネタだろう。元禄七年の秋は芭蕉が関西で過ごしたため、松茸の句が多い。

 松茸に交る木の葉も匂ひかな   鷗白
 松茸や都に近き山の形(な)り  素牛
 松茸やしらぬ木の葉のへばりつき 芭蕉

 いずれも意図的に、松茸の美味しさやこれで熱燗をきゅーーっとやりたいなあなんて庶民の情を避けているように思える。
 松茸があればその周りの木の葉も松茸の香ばしい匂いがする。都の近くの山を見ると赤松がたくさん生えていてそれ見ているだけで松茸が思い浮かぶ。取ってきた松茸をよく見ると必ず関係ない木の葉がへばりついていたりする。こういうネタの取り方が蕉門らしさだ。
 松茸というと、同じ元禄七年の夏の興行「夕がほや」の巻の七句目に、

   稗に穂蓼に庭の埒なき
 松茸に小僧もたねば守られず   鳳仭

の句もある。この句は一般に松茸をとられないように見張る小僧がいないから松茸がみんな村人に取られてしまった、という意味に介されることが多いが、江戸時代の山林は寺社の所有ではあっても共有地(コモンズ)としての性格が強く、そこで取れる松茸はみんなのものだったのではないかと思う。むしろこの句は、柴刈りしたりして山をきちんと手入れしてくれる小僧がいないから、山が荒れ果てて松茸が生えてこない、という意味ではなかったかと思うのだがいかがだろうか。

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