今日は三日月が見えた。旧暦七月三日。
芭蕉の元禄七年の七月初めの句というと、「道ほそし」の句のほかに、
大津の木節亭に遊ぶとて
ひやひやと壁をふまへて昼寝哉 芭蕉
の句がある。
昼寝は多分この頃はまだ季語にはなってなかったのか。「ひやひや」が秋の季語になる。
曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の夏之部兼三夏物のところに「昼寝」の項目があるから、江戸後期には夏の季語になっていたのだろう。ただ、内容は芭蕉のこの句についての支考『笈日記』の引用だけで、そのほかのことは記されてない。
「ひやひやと壁をふまへて昼寝かな 翁、支考評曰、此句はいかに聞やと翁の申されしかば、是は只残暑とこそ承り候へ。かならず蚊帳の釣手などとらまへゐながら、おもふべきことをおもひゐける人ならん、と申侍れば、此謎は支考にとかれたりとて、笑ひてのみはてぬるかし。云々。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、二〇〇〇、岩波文庫、p.510)
もちろんこの句が秋の句だということは百も承知だろう。ただ、夏の季語と定まっても、「昼寝」という季語の本意はこの芭蕉の残暑の句にあるということが言いたかったのではないかと思う。
芭蕉が支考に「この句をどう理解したか」と尋ねる。それに対し支考は「ただ残暑の句だと思った。」と答える。そして付け加える。「これはまず、蚊帳の釣手を掴んだりしながら、あれこれ思案する人だろう。」と付け加える。
「けふばかり」の巻の六句目にある、
宿の月奥へ入るほど古畳
先工夫する蚊屋の釣やう 主筆
の句が思い浮かぶ。
蚊帳の吊り方にはみんな結構悩んだのだろうか。部屋のどの場所に吊るかは重要だ。風通しがよく日が当たらず、そんな快適な場所に吊りたいものだ。月のある夜には月の見える所に吊りたい。そうやってあれこれ考えているうちに壁を背にしていると、壁がひんやりして気持ちがいいもんだから、結局そのまま寝てしまったというのが、支考の答ではないかと思う。芭蕉は「やっぱ支考にはわかっちゃったな」と言って笑い、それ以上は何も言わなかった。
結局この句は「蚊帳吊りあるある」だったのだろう。「蚊帳」という言葉はどこにもないが、昼寝をするのに蚊帳を吊るのは当時は普通のことで、その蚊帳の吊り様に悩むのもよくあることで、壁を背に昼寝という経験もいかにもありそうなことだったのではなかったかと思う。
芭蕉の句は個人的な体験の告白ではない。絶えず誰もが経験しているような誰もが理解できる言葉を探ってゆく。そうやって誰もが用いることのできる共通の言葉を作り出してゆくのが俳諧の「俗語を正す」ということだった。
並みの作者ならそれはただのあるあるネタで笑いは取れるものの、それ以上の深みもなくやがて時間がたてば忘れ去られてゆく。
芭蕉が違ってたのは、一見ただのあるあるのようでいて、それが古典から受け継がれている不易の情にも通じさせてしまうことだった。
芥川龍之介の『続芭蕉雑記』には、
「壁をふまへて」と云ふ成語は漢語から奪つて来たものである。「踏壁眠(かべをふまへてねむる)」と云ふ成語を用ひた漢語は勿論少くないことであらう。
とある。実際の漢文の例文は知らないが、何か出典があったのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿