2017年8月16日水曜日

 追悼復興花火のあと、十三日は家で休み、十四日の夕方には映画「銀魂」を見に行った。アニメとそれほど違和感がなく、なかなか飽きさせない映画だった。十五日には横浜みなとみらいへピカチュウ大量発生チュウを見に行ったが、雨が降りだしてすぐに帰って来た。
 今日は仕事でやはり雨、気温も低くほとんど飲み物もいらないくらいで、旧暦6月25日だというのにまったく夏という気がしない。何だか季節がわからなくなる。
 昨日は終戦の日で、戦争が終わったのはいいが、戦後の知識人はあたかも日本が負けて西洋が勝利したかのような反応をして、日本の伝統文化を悉く破壊していった。
 もっともこれは初めてのことではない。明治維新の頃も西洋列強の脅威の前に、日本も西洋のようにならなければ植民地に落ちるとばかりに伝統文化を悉く破壊していった。そして、この破壊を日本が併合した地域全てに押し付けていった。それは近代化の輸出であると同時に、固有の文化の破壊でもあった。その意味では、やはり韓国には謝らなければならないだろう。
 日本は西洋の植民地になる前に、西洋化を推進することで、一部の西洋かぶれの知識人による自己植民地化を断行した。そして、それをアジア全体に押し付けていった。
 こうした自己植民地化政策は、結局周辺国にも影を落としている。北朝鮮の政治は戦前の日本そのものだし、韓国の戦後も長いこと軍政に支配され、未だにその影を落としている。中国の文化大革命も、基本的には西洋の思想による自己植民地化に他ならなかった。韓国や北朝鮮や中国に対して、批判すべきことはたくさんあるだろうけど、それらは全て日本がたどってきた道だった。
 敗戦後の日本も、基本的に自己植民地化の流れを変えるものではなかった。西洋化と伝統破壊はそれまでよりも更に徹底したものとなった。
 和辻哲郎の『倫理学』の戦後に書かれた最終節「国民的当為の問題」では、やがて世界は一つにならなければならず、それが「世界国家」であるかぎり、国民国家はその主権を放棄しなければならないことを説いている。いうなれば、日本は国家としての主権を放棄する先鞭となれというわけだ。
 「しかるに、日本の伝統を捨てるといふ努力は、日本人のみのなし得る特殊な体験である。」(和辻哲郎『倫理学』(下)一九四九、岩波書店、p.588)
 「要はヨーロッパ文化の摂取によっておのれを新しくすること、新しい国民的性格の創造、新しい文化の創造に邁進することである。」(和辻哲郎『倫理学』(下)一九四九、岩波書店、p.589)
 このような戦後思想が戦後の日本を動かしてきた。
 もちろん、私自身も若い頃アルベール・カミュやマルチン・ハイデッガーやミシェル・フーコーの影響で作り上げてきた西洋哲学の基礎があって、さらにその後の霊長類学や脳科学の影響の下に、俳諧をはじめとする日本の文化に向き合おうとしてきたのだから、別に和辻が目指したことと矛盾はしてない。
 ただ、「一つの世界」の方に重点を置きすぎる人たちからすれば、伝統文化の復興はすぐさま国家主義の復活、軍国主義の復活に結び付けられ、危険思想とみなされてしまう。まあ、そういう人たちは所詮は少数派だからそれほど気にしなくてもいいのだろう。
 世界中が国家主権を放棄して世界国家を形成する時代はまだ来ていないし、それが本当に人類にとっての望ましい世界なのかはわからない。主権国家の中でも民主主義がきちんと機能すれば多様性の維持は可能だと思う。
 多様性は様々に変化する複雑な社会や国際情勢に対応するのに欠かせないもので、単一なものでは行き詰るものでも、別のものがあれば活路が開かれるかもしれない。
 多様性の一つとしての日本文化は生き残るべきだし、残さなくてはいけないと思う。そして、その日本文化を生きた状態で保存するには、その文化を共有する大人数による集団を維持しなければいけない。そこにまだ「国家」の意味はあると思う。
 それはたとえば、アメリカの社会の中でも白人固有の文化というのは残るべきだと思う。他の有色人種を排除するのではなく、棲み分けが十分確保されるなら。
 固有の文化のそれぞれのコア集団が棲み分け、その境界に複数の文化の融合した世界が形成される。それが多文化共存の一番いいやり方なのではないかと思う。何でもかんでもまぜこぜにすればいいというものではない。

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