2017年4月8日土曜日

 昨日一昨日と風は強かったが花はさほど散らなかった。今日ははらはらはらはら、桜吹雪になった。散る時が来るとあとはあっという間に葉の桜になってゆく。

   木の本に汁も膾も桜哉
 明日来る人はくやしがる春   風麦

 この脇句は結構好きだ。
 発句は二重の意味があり、一方では比喩としてメインディッシュではない汁や膾も桜の木の下では花見のご馳走であるように、金持ちも貧乏人も武士も町人も花の下では見た身分わけ隔てなく平等になる、という理想が込められている。
 その一方でそのまんまの意味としては、花の下では散った桜の花が汁にも膾にも落ちてきてみんな桜混じりになってしまう、という花見あるあるの句になる。
 風麦の脇は後者の花見あるあるの方から既に花が散り始めてはらはらはらはら落ちてくる様を読み取り、そこに明日になればかなり散ってしまうから、明日来る人はさぞかし悔しがるだろうな、と付ける。逆説的に、今日がいかに花見日和のすばらしい日であるか、こんな日に芭蕉さんをお迎えして俳諧興行ができることを誇りに思います、という気持ちが込められている。
 ただ、この日の歌仙は結局没になり、芭蕉は故郷の伊賀から近江の膳所へ行き、そこで珍碩(後の洒堂)、それに曲水(『幻住庵記』では「勇士」と称されている膳所藩の中老)の三人で作り直した歌仙が芭蕉七部集の一つ、珍碩編の『ひさご』に収録され、こちらの方がよく知られることとなった。そのときの脇は、

   木のもとに汁も膾も桜哉
 西日のどかによき天気なり   珍碩

 確かにこちらの方が無難な句といえよう。
 今日は午前中は雨だったが午後からは止んだ。どんより曇っていて「西日のどかに」ではなかったが、お花見日和だった。
 明日が雨の予報だから(関東の話で他の地域は知らないが)、きっと明日花見をしようと思ってた人は悔しがるだろう。

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