2017年4月13日木曜日

 染井吉野はだいぶ散ったが、今年は咲く時も散る時も木によってばらつきがあって、まだ散ってない木も所々にある。それに加えて山桜がようやく満開になった。山桜が散る頃には今度は八重桜が満開になるから、まだまだ花の日々は続く。
 さて、「木のもとに」の巻の先ず発句から行ってみよう。

 木のもとに汁も鱠(なます)もさくら哉  芭蕉

 土芳の『三冊子』「あかさうし」にこうある。

 「木のもとに汁も鱠(なます)もさくら哉  芭蕉
この句の時、師のいはく、花見の句のかかりを少し得て、かるみをしたりと也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,114)

 「かかり」は岩波古語辞典によれば、「歌などの語句の掛かりかた。また、詞のすわり。風体。」とある。語句の繋がり方、前後との関係での詞の収まりのよさ、といった所か。
 花見の句で汁・鱠をと、料理なのかではむしろ脇役ともいえるものに心寄せることで、実景(虚)としては汁や鱠に散った花が降りかかり、何もかもが桜に見えることを詠み、その裏(実)に主役脇役関係なく、老いも若きも偉い人も庶民も等しく花の下では酒を酌み交わして盛り上がれる世界、身分を越えた公界の理想を隠している。
 「花見の句のかかりを少し得て」というのは、桜と汁・鱠という取り合わせの面白さにふと気づいてというような意味で、出典のある言葉をはずして「軽み」の句にした、というのが、師の言いたかったことであろう。
 ならば、それまでの花見の句はどうだったか見てみよう。
 この句の詠まれた元禄三年の前年、芭蕉は深川にいて『奥の細道』に旅立つ直前で、この年には花見の句はない。
 その前年の貞享五年は『笈の小文』の旅の途中で、伊賀では、

 さまざまの事おもひ出す桜かな   芭蕉

の句を詠んでいる。
 この句は今ちょうどJCBのCMに用いられていて「皆さんは春に何を思いますか?」と視聴者に問いかけている。
 この句は旧主家藤堂探丸邸の花見の際の発句で、

   さまざまの事おもひ出す桜かな
 春の日はやく筆に暮れ行く     探丸

の脇がある。
 当座の意味としては、芭蕉伊賀藤堂藩に仕えていた頃、主君藤堂良精の息子藤堂蝉吟の俳席に招かれたことが俳諧師としての道を歩むきっかけとなり、そのほかにも様々な形で蝉吟にはお世話になって、たくさんの思い出があり、今こうしてその今はなき蝉吟の息子である探丸にこうして招かれ、さまざまなことを思い出します、という挨拶だったと思われる。
 それに対し、探丸の脇は春の日は長いとは言いながらも、こうして俳諧を楽しんでいるうちにあっという間に暮れて行きます、と返す。裏には「時の流れというのは本当に早いものです」という感慨が込められていたと思われる。
 この芭蕉の発句は特に取り合わせというものはない。ただ、桜が古来様々な形で歌われたり物語りになったりしたことを思い起こし、それをそのまんま述べたにすぎない。
 探丸邸での興行のことを知らない読者に対しては、この句はあのCMの通り、私は様々なことを思い出しますが、あなたもそうでしょう、と問いかける句になる。基本的に「桜」は様々な古典に登場することを踏まえながら、読者にそれぞれの桜の思い出を思い起こさせる展開になっている。
 このあと芭蕉は吉野へと旅立つ。その途中薬師寺での句、

 初桜折しも今日はよき日なり   芭蕉

 この句も特に取り合わせはない。

 花を宿に始め終りや二十日ほど  芭蕉

 この句も単に瓢竹庵を訪れた時にちょうど二十日頃だったことを詠んだ挨拶句。

 このほどを花に礼いふ別れ哉   芭蕉

 これは瓢竹庵を出るときの挨拶。

 吉野にて桜見せうぞ檜木笠    芭蕉

 これは、万菊丸(杜国)と一緒に吉野へ行こうという句。
 こうした句も桜や花がもつ長い伝統を踏まえた上で、それを慣用的に挨拶の中に織り込んだだけのものだ。

   龍門
 龍門の花や上戸の土産(つと)にせん 芭蕉
 酒飲みに語らんかかる滝の花     同

 花見に酒は付き物ということでの取り合わせの句。李白の

 両人対酌山花開
 一杯一杯復一杯
 二人向かい合って酒を酌めば山の花も開き、
 一杯一杯また一杯。

の連想を誘うが、古典に密着した作り方で、「汁も鱠も」といったリアルな情景にかかることはない。「滝」もまた李白観瀑図として、何度となく画題にされてきたものだ。こういう出典との密着した関係を、『奥の細道』から帰った頃から「重い」と感じるようになり、出典をはずした「軽み」へと向かうことになる。
 ある農夫の家での句。

 花の陰謡(うたひ)に似たる旅寝哉  芭蕉
 扇にて酒くむ陰や散る桜       同
 声よくば謡(うた)はうものを桜散る 同

 これも「花」に「謡(うたひ)」「花」に「酒」という古典に根ざして慣用句かした付け合いによる言葉のかかりにすぎない。

 六里七里日ごとに替える花見哉    芭蕉
 桜狩り奇特や日々に五里六里     同

 これも花を求めての旅の風狂の句で、「花」のイメージ自体は古典に立脚している。

 日は花に暮てさびしやあすならう   芭蕉

 これも、花を見ながらその日を終えると、「あすなろう」という植物に掛けて花見を明日に明日にと先送りしている忙しそうな人を戒めた句。

   芳野
 花盛り山は日ごろの朝ぼらけ

 これは芳野で呼んだ句だが『笈の小文』には載せなかった句で、自分でもこの句の凡庸さに嫌気が差したのだろう。
 このように芭蕉は花(桜)の句で、中々古典的な趣向から脱却できずに悩んでいたのだろう。
 元禄三年、ようやく「汁も鱠も」というリアルな花見の情景の掛かりを見出した時、さぞかし長いトンネルを抜けたような気分だったに違いない。

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