昨日は山梨の笛吹の桃の花を見に行った。桃だけではなく桜もまだ散ってなかった。天気も良く南アルプスや八ヶ岳も見えた。富士山は勝沼の方へ行った時、先っぽだけ見えた。
桃というと『続猿蓑』に、
伏見かと菜種の上の桃の花 雪芝
の句がある。
笛吹でも桃園の周りに菜の花が綺麗に咲いていたが、江戸時代の伏見もこんなだったのか。菜の花には緑肥としての効果もあったのだろう。
花鳥山に一瓜という人の句碑があった。
一木づつ奥ある花の山路可那 一瓜
地元御坂の人で文政八年(一八二五)の生まれだというから、活躍したのは幕末期だろうか。ただ、このあたりで桃の栽培が始まったのは大正時代らしく、一瓜さんの頃は桜の山だったか。
自生する山桜は点在しているから、一本の木を尋ねるとその向こうにまた別の木が見えてくる。これはそんな句だろう。
このあたりの桜は花が小いのがあったり、葉のない白い桜が咲いてたり、いろいろな品種があるようだ。桜も奥が深い。
さて、「木のもとに」の巻の続き。
十句目
判官の烏帽子ほしやと思ふらん
木わたあたりの雪の夕ぐれ 風麦
(判官の烏帽子ほしやと思ふらん木わたあたりの雪の夕ぐれ)
「木わた」は伏見の木幡山か。
『平治物語』によると、平治の乱の時、常盤御前が今若、乙若、牛若の三人を連れて六波羅を脱出して大和に向かう途中木幡山を歩いて越え、ようやく大和国宇多郡龍門に辿り着くも宿もなく、夜もふける頃から雪になった。
前句に「判官」が登場する以上、牛若丸からなかなか離れられない。本説を逃れるには別の本説を付けるというのは定石とでもいうもので、同じ牛若丸でも奥州ではなく、常盤御前に手を引かれての六波羅から大和へ向かう情景へと転じた。
本説の時は必ずオリジナルを少し変えなくてはいけないので、夜更けから雪になったのを「雪の夕ぐれ」に変える。
前句の「思ふらん」も反語から推量に取り成される。これも定石と言えよう。木幡の雪の夕暮れのあの子供は後の判官になって「烏帽子ほしや」と思うようになるのだろう、と付く。
付け句だけを見ると、
駒とめて袖うちはらふかげもなし
佐野のわたりの雪の夕暮れ
藤原定家『新古今集』
のパロディーになっている。難しい本説からの逃げ句にこの技はなかなかのものだ。
季題は「雪」で冬、降物。「木わた」は名所。
十一句目
木わたあたりの雪の夕ぐれ
売庵をみせんと人の道びきて はせを
(売庵をみせんと人の道さびて木わたあたりの雪の夕ぐれ)
木幡は木幡山の周辺の地域全体も指し、今の京都市伏見区だけでなく、宇治市にもまたがっている。宇治といえば都の巽(たつみ)、
わが庵は都のたつみしかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり
喜撰法師『古今集』
だ。
これは本歌というよりは宮本三郎の註にあるように、「雪→冬籠る庵」「宇治→我庵」という『類船集』の付け合いによるもので、物付けと見た方がいい。
宇治でただ庵で隠棲する人を付けても俳諧ではないので、あえて「売り庵」として、隠棲やーめたって人の句にしている。
無季。「庵」は居所。「人」は人倫。
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