2017年4月26日水曜日

 こうやって文章を書いている立場から言えば、やはり言論の自由が脅かせるということには敏感にならざるを得ない。
 基本的に失言に関しても善意無罪の原則はあると思う。相手を貶めようとしいて言った言葉かどうかをきちんと判断することは大事だ。
 ただ一つの言葉だけを抜書きしてということになると、言葉なんてのは本来取りようによってはどうとでも取れるもので、特に連句を読んでいると、思いがけない取り成しに出会うことも少なくない。
 元々言葉は単なる音声の振動にすぎず、意味はそれを話す人の意図によって決まるもので、言葉を話者から切り離してしまったら、どのような意味にでもなる。
 だから、こういう意味にも取りうるという理由でその発言の是非を問うことはできない。あくまでどのような意図で発せられた言葉かが問われなくてはならない。
 ヘイトスピーチにしても、極端なことを言えば、日本の文化や四季の美しさを賛美するだけで、他国の文化を貶めているだとか他国の四季を貶めているだとか曲解され、ヘイトではないかと言われる可能性はある。
 それを気にしていたのでは日本の文化について何も書くことができなくなる。だが現実には日本の文化を否定的に論じることが国際化だと思っている人がたくさんいる。多分それは日本だけではないだろう。だからどこの国でも極右が力をつけている。
 まあ、それはそれとして、とにかく俳諧を読んでいきましょう。たくさん俳諧を読んで、いつか俳諧研究の第一人者になって、目指すは文化勲章www。
 「木のもとに」の巻2の続き。

二十三句目

   ひとへのきぬに蚤うつりけり
 賤(しづ)の屋もかひこしまへば広くなり 良品
 (賤の屋もかひこしまへば広くなりひとへのきぬに蚤うつりけり)

 「かひこしまへば」というのは「お蚕上げ」のことであろう。旧暦の3月の終わり頃から養蚕が始まり、飼育台に孵化したお蚕さんと桑の葉を入れ、旧暦五月になるころには蛹になり繭を作るためお蚕さんを取り出し、飼育台を片付ける。それから八日くらいで繭かき(収繭)になる。
 零細な農家では蚕の飼育台が部屋を占領していたが、お蚕上げになると部屋が片付いて急に広くなったように感じられたのだろう。ここで養蚕の方も繭が出来上がるまで一休みとなるのだが、ちょうどその頃は蚤の出てくる季節でもあった。

季題は「かひこしまふ」で夏。虫類。養蚕の開始が旧暦三月の終わり頃なので、「蚕」は春の季語になるが、「蚕蛹(かひこのまゆ)」は旧暦四月の終わりで夏の季語となる。「かひこしまふ」も「蚕蛹」と同様になる。「賤の屋」は居所。

二十四句目

   賤の屋もかひこしまへば広くなり
 またあたらしき麦うたをきく    風麦
 (賤の屋もかひこしまへば広くなりまたあたらしき麦うたをきく)

 お蚕上げの季節は同時に麦の収穫の季節でもある。収穫した麦を臼に入れて杵で搗いて脱穀する時には麦搗き歌を歌う。録音技術のなかった時代のこうした歌は、その年によって新しく作られていたか。

季題は「麦うた」で夏。夏は三句まで続けることができる。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には「麦秋」「麦の秋風」「麦刈」「麦藁笛」の項目はあるが「麦うた」はない。ただ、意味からいって麦刈りの季節のことなので夏として良いと思う。

二十五句目

   またあたらしき麦うたをきく
 御仏につかゆる日よりまづしくて  土芳
 (御仏につかゆる日よりまづしくてまたあたらしき麦うたをきく)

 これを夏行(夏安居)のことだとすると夏の句が四句続いてしまうことになるが、ここでは夏行に限定せず、普通に仏道に入った人のこととして、貧しい草庵でのくらしを詠んだものとした方がいいのであろう。
 麦が実れば米にその新しい麦を混ぜて、半分新米の気分だったのか。

無季。「御仏につかゆる」は釈教。

二十六句目

   御仏につかゆる日よりまづしくて
 源氏をうつす手はさがりつつ    半残
 (御仏につかゆる日よりまづしくて源氏をうつす手はさがりつつ)

 「手」は書の意味もある。だが、この場合の「手はさがり」は書が下手になるのではなく、おそらく書くのが遅くなるという意味だろう。貧しければいろいろこまごまとやることも多く、源氏物語の書写にまで手が回らないということか。
 木版印刷がなかった時代は源氏物語も写本をとるしかなったが、江戸時代になって木版印刷ができても本は高価で、お金のない人は書き写したのだろう。

無季。

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