「木のもとに」の巻の三つのバージョンの内、『花はさくら』の方は終わった。
宮本三郎の註に「『花はさくら』『十丈園筆記』にこの巻の末に『木白あとよりきたりければ、興に乗じて付延し侍る。されど、とり(雞)鐘に筆をとどむ』と付記する。」とあるので、これに従えば、途中からきた木白の句が二十六句目と三十三句目の二句だけで、もっと詠ませてあげたいからということになるが、ただ結局木白の句はこの二句だけで、延長した意味がない。多分後から推測でつけた理由だろう。
初の懐紙が同じで二の懐紙が異なるもう一つのバージョン(「木のもとに」の巻2)は、宮本三郎の註によれば「猪来編『蓑虫庵小集』(文政七年刊)に、「右一巻之連句ハ柳下生ノ家ニ蔵ス、乞テ世ニ披露ス」と付記して収める。」とある。
「木のもとに」の巻2
二表
十九句目
日長きそらに二日酔ざけ
かげろふのみぎりに榻(しぢ)をひきづられ 芭蕉
(かげろふのみぎりに榻をひきづられ日長きそらに二日酔ざけ)
「榻(しぢ)」は牛車の牛の引く取っ手部分を停車する時に載せて置く台で、『源氏物語』葵巻の車争いでは、「しぢなどもみなおしをられて、すずろなる車のどうにうちかけたれば、又なう人わろくくやしう」とある。訳すと「榻がへし折られて、車軸の出っ張りにだらしなくぶら下げられていて、これ以上ないくらいに無残な状態で、くやしくて」となる。まあ、これも旧暦四月の賀茂祭で酔っぱらった若い衆の仕業だった。
この句も、そうした酔った衆が牛車の榻を陽炎の立つ水際に押しやった結果だろう。翌日になってその惨状を見ながら二日酔いで頭が痛い、といったところか。
本説というほど原典に忠実ではなく、俤付けに近い。
「かげろう」が春の季語なのは、元々は野焼きから来たものではないかと思う。野の草が燃えても炎が高く上がることはなく地面をくすぶるため、その上にめらめらと陽炎が生じる。
ただ、古代には陽炎はもっと多義的に用いられ、砌に立つ陽炎は単に水面に反射した光が水面から立ち上る湯気に映ったものではなかったかと思う。
季題は「かげろふ」で春。「みぎり」は水辺。
二十句目
かげろふのみぎりに榻をひきづられ
すげなくせいのたかきさげ髪 良品
(かげろふのみぎりに榻をひきづられすげなくせいのたかきさげ髪)
「すげなく」は「素気なく」で今だと「そっけなく」と言う。髪を結い上げない「さげ髪」は古風だ。芭蕉自筆の『甲子吟行画巻』の西行谷の芋洗う女はさげ髪で描かれているから、この頃の田舎の女性はまださげ髪だったのだろう。
「せいのたかき」は『源氏物語』末摘花巻の「ゐだけのたかうせながに見えたまふに」で末摘花のイメージか。これも本説ではなく俤に近いが、同じ源氏の別の場面で逃げるあたり、やや展開が重い。
無季。
二十一句目
すげなくせいのたかきさげ髪
しのぶ夜の蝋燭おとす橋のもと 雷洞
(しのぶ夜の蝋燭おとす橋のもとすげなくせいのたかきさげ髪)
「蝋燭おとす」というのは蝋燭の火を消すこと。橋はこの場合建物と建物の間に渡すもので「水辺」ではない。恋に展開するのはいいが大宮人のイメージから離れきれず、展開が重い。
明確な本説ではないけど、古典趣味と重い展開は、四十句の巻の二表よりも古いように思える。あるいはこちらの方が元禄三年三月二日に近い日に巻いた二表だったのかもしれない。
無季。「しのぶ」は恋。「夜」は夜分。
二十二句目
しのぶ夜の蝋燭おとす橋のもと
ひとへのきぬに蚤うつりけり 三園
(しのぶ夜の蝋燭おとす橋のもとひとへのきぬに蚤うつりけり)
「蚤」が出てくるあたりでようやく俳諧らしくなる。ただ、蝋燭は当時高級品で一般には紙燭が用いられていた。
ここでは普通の橋で、遊女を買いに行って蚤をうつされた。まだ蚤でよかった。
宮本三郎の註には、「前句の『橋』を普通の橋に見替えて、下等の辻君などと転じた付か。」とある。
季題は「ひとへのきぬ」で夏。衣装。「蚤」も夏。虫類。
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