昨日は上野の東京学芸大学美術館に雪村展を見に行った。そのあと谷中を散歩したが、やはりここも猫に会わなくなった。前に猫の恋のところでも書いたが、猫のエンクロージャーは進行中。
藤の花が見頃だったが、根津神社の躑躅はまだ咲きはじめだった。
それでは今日も「木のもとに」の巻の続き。一気に挙句まで。
三十五句目
けやき碁盤のいたの薄さよ
老ながら廿日鼠の哀にて 半残
(老ながら廿日鼠の哀にてけやき碁盤のいたの薄さよ)
ハツカネズミは江戸後期になると趣味で飼われたりもするが、この時代は普通に家の中をちょろちょろ這い回った迷惑な存在だっただろう。欅の碁盤も齧られてしまったのだろう。年寄りの唯一の楽しみが奪われて哀れということか。
本来なら花の定座で、次は挙げ句になるところだが、なぜかまだ続く。
無季。「廿日鼠」は獣類。
三十六句目
老ながら廿日鼠の哀にて
石菖(せきしゃう)青くめをさましつつ 良品
(老ながら廿日鼠の哀にて石菖青くめをさましつつ)
「石菖」はショウブ科の多年草で、葉は細く群生する。初夏に小さな花をつけるので夏の季語になっている。
宮本三郎の註には「青々とした石菖の葉はよく眼病を治すともいう(和漢三才図会)。」とある。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には、「臞仙、神隠書に云、石菖蒲一盆を几上に置、夜の間書を視る時、煙を収て目を害するの患なし。」とある。
あたりをハツカネズミの這い回る家で、老人は石菖の青々したのを盆の上に置いて、行灯の明りで書を読んでいるのだろう。
季題は「石菖」で夏。植物、草類。
三十七句目
石菖青くめをさましつつ
着かゆれば染物くさき単物(ひとへもの) 芭蕉
(着かゆれば染物くさき単物石菖青くめをさましつつ)
前句の「めをさましつつ」を朝起きる意味に取り成して、初夏の衣更えにふさわしく一重の小袖に着替える。今だったら防虫剤の匂いのするところだが、昔は染液の匂いが残ってたりしたか。多分当時の人ならわかるあるあるネタだったのだろう。
季題は「単物」で夏。衣装。
三十八句目
着かゆれば染物くさき単物
おくの座敷へ膳すゆる也 土芳
(着かゆれば染物くさき単物おくの座敷へ膳すゆる也)
単衣を着た人を女中の位と見たか。
無季。「座敷」は居所。
三十九句目
おくの座敷へ膳すゆる也
花あればいやしき家にとどめられ 三園
(花あればいやしき家にとどめられおくの座敷へ膳すゆる也)
「いやしい」といっても奥座敷があるくらいだからそこそこの家だろう。商人の家なら身分的には士農工商だから賤しいといえるかもしれない。
奥座敷の前に桜の木があるからそこで花見ができるというので、外へ花見に行くこともなく家に閉じ込められている、といったところか。そのうえ給仕までさせられて。
ここでようやく花の定座となり、次が挙句となる。
季題は「花」で春。植物、木類。「家」は居所。
四十句目
花あればいやしき家にとどめられ
終に出来たる燕(つばくろ)の土 雷洞
(花あればいやしき家にとどめられ終に出来たる燕の土)
ツバメは泥と枯れ草で巣を作るが、そのときに泥が下に落ちたりする。
盃に泥な落しそむら燕 芭蕉
という貞享の頃の句もある。
燕も花に惹かれてこの賤しい家に来たのだろうか、巣作りを始め土が落ちている。
ツバメが巣を作る家は繁栄すると言われていて、この一巻も「終に」目出度く終わる。「終に出来たる燕の土」とは、この一巻も燕が落とす泥のようなものと謙遜の意味を込めているのだろう。
季題は「燕」で春。鳥類。
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