2017年4月20日木曜日

 さて、「木のもとに」の巻も二表に入る。

十九句目

   日長きそらに二日酔ざけ
 かねかすむ喰さき紙を飛つきて  風麦
 (かねかすむ喰さき紙を飛つきて日長きそらに二日酔ざけ)

 「かねかすむ」は遠くから聞こえてくる鐘の音が、春の湿気の多い空気の中を通って来るため、どことなくくぐもって聞こえてくることを言う。『源氏物語』「末摘花」でも、朧月の夜に謎の姫君の七弦琴を聞きに行こうと誘うと、大輔の命婦が「ものの音すむべき夜のさまにも侍らざめるに」と気乗りのしないふうに言う場面がある。昔の人は春と秋で音の伝わり方の違いに敏感だったようだ。
 問題は次の「喰さき紙」だが、ネットで検索すると紙の切り方で、カッターなどで裁断すると切り口の境目がはっきり出てしまうため、紙をあらかじめ湿らせて引き裂くことで切り口を毛羽立ったファジーなものにして、貼った所を目立たなくする技法だということがわかる。
 ここでいう「喰いさき紙」は、はそうやって切断した紙のきれっぱしのことだろう。風で飛んでしまったのだろうか。鐘霞む日長き空に消えてゆく、そんな二日酔いの日、と付く。

季題は「かねかすむ」で春。聳物(そびきもの)。

二十句目

   かねかすむ喰さき紙を飛つきて
 荷ひ夾(まぜ)たる番匠のごき   芭蕉
 (かねかすむ喰さき紙を飛つきて荷ひ夾たる番匠のごき)

 「番匠」は「ゑびす講」の巻の第三のところで触れたが、建築現場で大工の下働きをする人。律令時代は建築だけでなく、材木の伐採などに携わる者も含む建築一般に従事する人を指していた。ここでは前者だろう。大工さんの食事を運んだりもしていたか。
 飛んできた喰い裂き紙が背負っている食品の上に落ちて混ざってしまう。芭蕉らしい発想だ。
 軽みの風のようにも見えるが、「鐘」と「番匠」は付け合いなので物付けになる。

無季。「番匠」は人倫。

二十一句目

   荷ひ夾たる番匠のごき
 何事にいそぐめくらのひずむらん  土芳
 (何事にいそぐめくらのひずむらん荷ひ夾たる番匠のごき)

 番匠が御器を運ぶのではなく、番匠の御器を運ぶ人物として目の不自由な人を付ける。「ひずむ」は曲がるということ。

無季。「めくら」は人倫。

二十二句目

   何事にいそぐめくらのひずむらん
 かざすあふぎのかなめはしりし   雷洞
 (何事にいそぐめくらのひずむらんかざすあふぎのかなめはしりし)

 これも何の事だかさっぱりわからなかったが、「扇 盲人」で検索したら「心で学ぶ人間福祉入門: 実践ワーク」というのが出てきた。

 「例えば軍談語りですが、これは盲人と密接な関係にありました。俳諧師の野々口立園の『盲人画卷』には、軍談語りが閉じた扇を突き出し、膝立ちの身を乗り出している法師姿の男として描かれています。その姿は琵琶法師の変身か、その流れを引く盲人たちの‥‥」

とあるので、この可能性はある。
 軍談語りは辻講釈と呼ばれる大道芸の一つで、やがて常設小屋で上演されるようになり、「講釈」と呼ばれるようになった。「講釈師見てきたような嘘をつき」と川柳にも詠まれている。明治になってそれが「講談」と呼ばれるようになったという。以上はウィキペディアの「講談」を参照。
 講釈も芭蕉の時代はまだ大道芸で、琵琶法師の流れを汲んでいたため目の不自由な人も多く、それが扇を様々に使って面白おかしく物語をしたのだろう。扇を使うというのは、落語の扇子にも受け継がれている。
 前句の目の不自由な人は大道芸の講釈師で、一体何を急いでひずんでいるのか、と問いかけて扇の要を走らすという落ちに持っていっているのだろう。つまり本当に急いで走ってたのではなく、扇をさっと広げる仕草のことを「走る」というだけのことだったというわけだ。

無季。「めくら」は人倫。

二十三句目

   かざすあふぎのかなめはしりし
 おかしきは鼓の拍子打のべて   風麦
 (おかしきは鼓の拍子打のべてかざすあふぎのかなめはしりし)

 これは簡単。かざした扇をさっと開く仕草を講釈師ではなく能の舞いに取り成し、そこは鼓をポンポン打ち鳴らして盛り上がるところだ。

無季。

二十四句目

   おかしきは鼓の拍子打のべて
 気おもに見ゆる脇息(けふそく)のうへ 良品
 (おかしきは鼓の拍子打のべて気おもに見ゆる脇息のうへ)

 
 鼓は立って打つ場合でも座って打つ場合でも背筋をピンと伸ばすもので、それがいかにも気だるそうに脇息(肘掛)に肘を突いて叩いていたら、そりゃあおかしいわな。でもそういう人、いそうだ。
 二の懐紙に入ってから、本歌本説の重い句はなく、こういうあるあるネタが続いている。芭蕉も初の懐紙が重くなりすぎたので、このあたりで付け句の方でも「軽み」を試そうとしたのかもしれない。

無季。

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