「木のものに」の巻の続き。二裏に入る。
三十一句目
髪筋よりもほそき秋風
鶴の夢すすきの中にまどろみて 雷洞
(鶴の夢すすきの中にまどろみて髪筋よりもほそき秋風)
鶴の夢というと鶴の恩返しを連想するが、当時この物語があったのかどうかはわからない。夢から醒めてススキの中というと何か狐に化かされたような感じだ。
「鶴の恩返し」を検索すると「唐代のものとされる『鶴氅裒(かくしょうほう)』の寓話からきたもの、という一説もある」という一文がかなりの数出てきているが、肝心なその寓話はどこにもなく、裏を取らずに拡散されている感じだ。
横井見明『源翁和尚と殺生石』が一応その出典らしい。これは国立国会図書館デジタルで読むことができる。儒者の着る鶴氅衣の起源の物語だ。
ただそこには「昔の唐土のさる田舎に」という物語上の設定は書かれているが、物語自体がいつ成立したのかはわからない。
そういうわけで「鶴の夢」が鶴の恩返しに関係があるかどうかは不明。単なる吉祥の夢かもしれない。いずれにせよ夢から醒めたらススキの中にいて、現実は「髪筋よりもほそき秋風」だったというわけだ。
季題は「すすき」で秋。植物、草類。「鶴」は鳥類。
三十二句目
鶴の夢すすきの中にまどろみて
冬のかがしの弓を失ふ 三園
(鶴の夢すすきの中にまどろみて冬のかがしの弓を失ふ)
前句を案山子の夢と取り成す。
ススキの中に立つ案山子が鶴の夢を見て、醒めると薄が原はすっかり冬になり、案山子の持っていた弓がなくなっていた。ちょっと『俳諧次韻』っぽい展開。
宮本三郎の註には参考として、
道のべにまねく薄にはかられて
今宵もここに旅寝をやせん
『夫木抄』
の歌を記している。これを本歌として、旅人ではなく案山子の夢としたと思われる。
季題は「冬」で冬。
三十三句目
冬のかがしの弓を失ふ
房は留守仏はうににふすぼりて 木白
(房は留守仏はうににふすぼりて冬のかがしの弓を失ふ)
「うに」は「雲丹」で泥炭のことだという。芭蕉の貞享五年の句に、
伊賀の城下にうにと云ものあり、わるくさき香なり
香ににほへうにほる岡の梅のはな 芭蕉
の発句がある。
「ふすぼる」は「くすぶる」のことだと古語辞典にある。
お寺の坊は留守で、誰もいないお寺のご本尊には付近の泥炭のにおいが染み付いていて、庭の畑の案山子の弓もいつしかなくなっている。「弓を失う」に「うににふすぼる」と響きで付けている。
無季。「仏」は釈教。
三十四句目
房は留守仏はうににふすぼりて
けやき碁盤のいたの薄さよ 風麦
(房は留守仏はうににふすぼりてけやき碁盤のいたの薄さよ)
碁盤には榧(カヤ)、桂、銀杏などが用いられる。欅は碁石を入れる碁笥にはよく用いられるが、碁盤にはあまり用いられない。「いたの薄さよ」というのは卓上碁盤か。留守がちな坊には、そんな立派なものも置いてないということか。
宮本三郎の註にも、「前句の坊にある粗末な碁盤と見た」とある。
無季。
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