「木のもとに」の巻の続き。
十二句目
売庵をみせんと人の道びきて
井どのはたなるゆぶききる也 雷洞
(売庵をみせんと人の道びきて井どのはたなるゆぶききる也)
「ゆぶき」はイブキのことで、白槇(柏槇、百槇:びゃくしん)ともいう。「ねずの木」も白槇(柏槇、百槇)の一種。大木になる。お寺や神社などに植えられたりするし、生垣にも用いられる。「きる」というのは剪定して形を整えるということか。
庵の価値を高めるために、井戸の脇にあるイブキを剪定して、形を整えたのだろう。
無季。「ゆぶき」は植物、木類。
十三句目
井どのはたなるゆぶききる也
すずしさのはだかになりて月を待つ 良品
(すずしさのはだかになりて月を待つ井どのはたなるゆぶききる也)
夏の夕涼みに転じる。イブキが茂ってて、月を隠しているので剪定したのだろう。剪定作業に一汗かいて裸になって月を待つ。何だか蚊に刺されそうだな。木を切るのに月のためという理由をつけているので心付けになる。
季題は「すずしさ」で夏。「すずしさ」と組み合わせることで「月」は夏の月になる。夜分、天象。
十四句目
すずしさのはだかになりて月を待つ
筵をたてにはしりとびする はせを
(すずしさのはだかになりて月を待つ筵をたてにはしりとびする)
これは曲芸だろうか。筵を縦に立ててそこを飛び越えるという大道芸か。
「見世物興行年表」というサイトに、小鷹和泉・唐崎龍之助の芸として、「竹籠口の径(わた)し尺半、長さ七八尺檈(だい)の上に横たへ、高さ五六尺の菅笠を被(かつ)ぎ、走り跳び、籠の中を潜り出でて地に立つ。」とある。
月待つ夕暮れに裸になっている人を大道芸人の位として付けたか。だとすると「位付け」で匂い付けの一種となる。
無季。
十五句目
筵をたてにはしりとびする
ねて居(ゐる)かおかしく犬の尾をすべて 風麦
(ねて居かおかしく犬の尾をすべて筵をたてにはしりとびする)
「すべて」はすぼめてということか。岩波古語辞典に「す・べ【窄べ】[下二]すぼめる。ちぢめる。「尾を─・べ、頭(かしら)を地につけて申すは」<天草本伊會保>」とある。
走り跳びする脇では犬が眠っている。要するに全然受けてないということか。
十一句目までは本歌や本説のある重い付けが続いたが、それ以降は一転して軽くなる。あるいは最初から十八句で終わる半歌仙の予定で、そろそろ終りということか。
無季。「犬」は獣類。
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