2017年3月31日金曜日

 またこれから寒くなるらしいけど、桜は順調に咲き始めている。山沿いでは雪の予報があるからではないけど、今日のテーマは雪柳。
 とはいえ、これもレアな季語で、今のところ確認しているのは、

 小米花奈良のはづれや鍛冶が家   万乎『続猿蓑』

の一句のみ。
 曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には、

 「糏花(こごめばな) [和漢三才図会]糏花は小樹叢生す。高さ三四尺、葉狭く長く薄し、縦理(たてすぢ)有。二三月白花ひらく。大さ銭ばかり、蒸たる糏(こごめ)のごとし。故に俗、呼て小米花と名づく。」

とある。堀切実はここに、

 ちればこそ小米の花もおもしろき  莫二

という例句を書き加えているが、この句について、グーグル検索ではいつ頃のどんな作者の句なのかはわからなかった。出典が成美編の『浅草ほうご』になっているので、寛政の頃の句か。
 この歳時記には「雪柳」の項目がない。雪柳という名称はいつ頃から広まったものなのか。
 糏は精米した時に出る米の屑か、あるいは細かく砕いた米のことを言う。これを蒸すと団子になってしまうが、おそらく馬琴が言おうとしているのは道明寺粉を蒸した物のことだろう。薄赤く色をつければ関西式の桜餅になる。ひょっとしたら山桜が主流だった頃は桜餅も白かったのか。
 ところで、

 小米花奈良のはづれや鍛冶が家   万乎

の句だが、奈良と雪柳には何か深い関係があるのか、今でも奈良の海龍王寺や久米寺は雪柳の名所として知られている。かつては自生していたともいうが、今日では自生の雪柳はほとんど見られないという。
 おそらく芭蕉の時代でも雪柳は奈良を連想させる何かがあったのだろう。奈良は渡来人の昔から刃物作りが盛んで、鍛冶屋もたくさんいた。奈良と鍛冶屋と小米花、多分これは鉄板の取り合わせだったに違いない。

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