梅の花はほぼ終わりを迎え、桜はまだ開かない。何となく中途半端な季節だが、柳の糸はまばゆいばかりの黄緑の芽を吹き、雪柳も開き始め、杏、コブシ、寒緋桜、桃などいろいろな花が咲いている。
ただ、杏は公園などに散発的に植えてあっても梅や桜のようなまとまった名所は少ない。かなり前に見た杏林のCMで杏の林が映ってたが、長野の方だと杏の名所もあるようだ。
桜も河津桜がこれだけブレイクしたのだから、河津桜と染井吉野の間に咲く桜の名所があれば、染井吉野の後の八重桜まで絶え間なく花見が出来るのではないかと思う。
それに比べると、芭蕉の時代の俳諧の花の種類は少ない。『阿羅野』の春のところをたどってみても、梅、若菜、水仙、椿、土筆、柳、菜の花、桜、菫、あざみ、山吹、躑躅、藤、とわずか十三種類しかない。『猿蓑』だと、若菜のところになづな、芹の花が加わる。それに桃、木瓜、海棠が加わる程度だ。『続猿蓑』だと、蒲公英、小米花(雪柳のこと)が登場する。それからするとあまり贅沢は言えないか。
もうすぐ染井吉野や山桜が咲く。そうなると本格的な花見の季節が来る。
庶民の花見は享保の頃から始まったというい人もいるが、ならば、これらの句は何なのだろうか。
山や花墻根墻根の酒ばやし 亀洞『春の日』
山里に喰ものしひる花見かな 尚白『阿羅野』
何事ぞ花みる人の長刀 去来『阿羅野』
はなのなか下戸引て来るかいな哉 亀洞『阿羅野』
疱瘡の跡まだ見ゆるはな見哉 傘下『阿羅野』
知る人にあはじあはじと花見かな 去来『猿蓑』
享保の頃八代将軍吉宗が飛鳥山に公園を作ったというのが花見の始めだというのがその根拠らしいが、それ以前でも山に行けば普通に桜が咲いていたし、町の人もお寺などで花見をしていた。江戸では上野寛永寺と浅草浅草寺が花の名所だった。
一日は花見のあてや旦那寺 沾圃『続猿蓑』
の句もある。
花見といえば、『ひさご』の歌仙の発句、
木のもとに汁も膾も桜かな 芭蕉
の句がある。『ひさご』だと、これに、
木のもとに汁も膾も桜かな
西日のどかによき天気なり 曲水
と続くが、この句は最初、
木のもとに汁も膾も桜かな
明日来る人はくやしがる春 風麦
の脇が付いていた。間違いなく花見の句だ。
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