ようやく家の近くでも染井吉野が咲いた。といっても一本の木に二輪三輪といったところか。咲いてない木もまだたくさんある。
ところで、
たのもしき子を置ちるや姥櫻 牧童『卯辰集』
遍照の蓑さへもたじ春の雨 牧童『卯辰集』
の句を詠んだ牧童は加賀金沢藩の御用研師で『奥の細道』で加賀のあたりを芭蕉と同行した北枝の兄にあたるという。その牧童の句を拾ってみよう。
たんぽぽや芹生小原のまがひ道 牧童『卯辰集』
芹生は鞍馬山貴船神社の奥にある芹生峠の辺りを指すのか。小原は大原と同じ。三千院がある。
この二つの地名は「小原木踊」という踊り歌の「小原静原芹生の里、おぼろの清水に、影は八瀬の里人、知られぬ梅の匂ふや」から来ていると思われる。静原は大原と鞍馬の間にある。狂言「若菜」にもこの歌は登場する。
タンポポは西洋ではサラダにするし、韓国ではセンチェにする。日本では若菜というと春の七草が思い浮かぶが、タンポポはあまり重視されてなかったようだ。
「まがひ道」というのは他の道の入り混じった間違えやすい道というような意味か。「芹生」という地名に掛けて、芹と入り混じってタンポポが咲いているさまを間違えやすい道に喩えたのだろう。
かくれ家や食喰さして摘五加木 牧童『卯辰集』
「五加木」はウコギのこと。唐音だろうか。ウィキペディアには、
「一六〇三年(慶長八年)の『日葡辞書』ではVcoguiとして『根は薬用に、葉は和え物に、幹は酒に用いる』とあり」とある。
『卯辰集』ではこの句の前に、
おもしろき盗や月のうこぎ垣 李東『卯辰集』
の句があり、ウコギは古くから食べられる垣根として珍重されてきた。後に米沢藩では上杉鷹山が奨励したとも言われている。春の季語になる。
「食喰さして」は食っては「くひさし」つまり食うのをやめてということか。食ってる途中でもう少し欲しくなったか、垣根まで行って摘んできてさっと茹でてまた食べる。
里の昼菜の花深し鶏の声 牧童『卯辰集』
これも美しい句だ。鶏の声は陶淵明の「帰園田居」の「狗吠深巷中、鶏鳴桑樹頂」を髣髴させる。
弟の北枝は『奥の細道』にも登場するし、加賀の俳壇を支え、この『卯辰集』を編纂した人でもあるが、兄の牧童もなかなかだと思う。ただ、後の芭蕉の軽みの風から外れてしまったために損しているのだろう。
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