今日は寒かったけど雪にはならなかった。
この前の日曜日には松陰神社と豪徳寺に行った。豪徳寺は招き猫が増えていた。
松陰神社というと吉田松陰だが、
「今急に武備を修め、艦略ぼ具はり礮略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め、漸に進取の勢を示すべし。」
「濠斯多辣利の地は神州の南に在り、其の地海を隔てて甚しくは遠からず、其天度正に中帯に在り。宜なり、草木暢茂し人民繁殷し、人の争ひ取る所となるも。而して英夷開墾して拠るも僅かに其の十の一なり。吾れ常に怪しむ、苟も吾れ先ず之を得ば、当に大利あるべしと。」
と『幽囚録』で侵略戦争の必要を説いた吉田松陰。何が間違ってたかといったら、結局は、
「葡萄牙・西班雅・英吉利・払郎察の如き、乃ち能く我れを朶頤し、我れ亦以て患と為す。」
という西洋列強がこぞって日本を占領しようとたくらんでいると考え、あたかも世界が戦国時代で天下統一を争っているかのような恐怖にとらわれてしまったということだろう。
正岡子規も明治十八年の『筆まかせ』で、
「文明の極度
世界文明の極度といへば世界万国相合して同一国となり、人間万種相和して同一種となるの時にあるべし 併シなほ一層の極点に達すれば国の何たる人種の何たるを知らざるに至るべし。」
と言い、やがて世界が一つにならなければならないと考えていた。しかし、世界が一つの国になり、世界が一つの人種になるというのが何を意味するのか、その過程で何が起こるのかと考えたとき、結局は天下統一の戦いにならざるを得ない。
三十年正月の『明治二十九年の俳句界』では、
「日本が世界列國の間に押し出して日本帝國たる者を世界に認められんとするには日清戦争は是非とも必要なりしなり。日清戦争は初めより此目的を以て起りたる者に非れども少くも此大勢は日清戦争の端を開かしむる上に於て暗々裡に之を助けたるや凝ひ無し。」
と言っているし、明治二十八年正月の『俳諧と武事』では、
「戦闘の如きは太平の詩人が実験するを得ざるのみか安永天明頃徳川の盛時に方りて世人の夢寐にも想はざる者而して之を論議する者林子平あり之を風詠する〈者〉謝蕪村あり。共に是れ一世の豪傑なり。」
と戦争の句を詠んだ蕪村を賛美している。
明治から今日に至るまで、日本人を突き動かしてきたのは、
やがて世界が一つになる→世は正に天下統一へ向けての戦国時代→世界が一つになる時には日本は滅ぶか日本が天下を統一するかどちらかだ→守っているだけではいつかどこかの国に滅ぼされるから、常に外に向かって攻めていかなくてはいけない→侵略するしかない、否それは侵略ではなく防衛だ
この論理だったのだと思う。
もし自分の周囲の人間が皆自分を殺そうと虎視眈々と狙っているという被害妄想に取り付かれたなら、殺られるまえに殺れということになるだろう。日本中がその妄想に取り付かれたら、侵略される前に侵略しろということになる。根底にあるのは猜疑心と、そこから来る恐怖だ。
恐怖心を煽り立てられれば人間というのは弱い。恐怖をのがれるためなら手段を選ばなくなる。侵略、略奪、殺人、虐殺、殲滅、あらゆる悪が「防衛」を理由に正当化される。そのどさくさに紛れて強姦や放火までもが肯定されたりする。日本はそんな異常な情態に長いことあった。
確かに生きとし生ける者は皆生存競争の中にあるから、誰もが生きる上でのライバルで、それこそ万人の万人に対する闘争情態は当然なのかもしれない。 ただ、それは自然界の真実ではない。たった一種類の生物が存在するだけでは環境の変化によってその一種類の生存が困難になれば、そこですべての生命が失われ死の世界だけが残る。多種多様な生物が存在することで、一つが滅んでも他のものが残る。多様性は保険であり、生物が40億年に渡ってこの星に生存できたのも多様性あってのことだった。
生物種だけではない。人類がこれから先末永く繁栄してゆくためにも、文化的多様性は維持されなくてはならないし、おそらく放っておいても世界は自然に多様化するに違いない。
風流の道は『古今集』仮名序にあるように、「たけきもののふの心をなぐさめ、力をいれずしてあめつちを動かす」、今まさに戦争を起こそうとしてる人々に思いとどまらせ、非暴力にして世界を変革する道だ。
それは笑いを通じてぎすぎすした人間関係をほぐし、どんなに異質なものであっても共存共栄を目指す道だ。
これは明治初期の旧派の句。
どの道を行もひとつの花野哉 永機
恐怖心や猜疑心は人間だから仕方がない。誰しもそういう時はある。でも、だから何なんだ。どのみち人間はいつかは死ぬんだし、地球上の生命だって何億年という長い年月が経てば、どのみち地球そのものが太陽に飲み込まれ滅亡するんだ。
どうせいつか死ぬのなら笑って死んだ方がいい。人を信じ、誠を貫くなら、それは命を掛けるに値する。それが風雅の誠だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿