2017年3月12日日曜日

 山吹や蛙飛び込む水の音
 古池や蛙飛び込む水の音

 この二句の違いは、「山吹や」の上五が直接『古今和歌集』の、

 かはづなくゐでの山吹散りにけり
      花のさかりにあはましものを
               よみ人知らず

を想起させることで、古典の風雅と結びついているのに対し、
 「古池や」の上五は、古歌を通さずに直接当時の人々の共通体験を想起させることで、言葉には表れていない、

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ
     わが身ひとつはもとの身にして
               在原業平朝臣

の情を連想させる。
 古池の句が画期的だったのは、古典の持つ本意本情、いわば「不易」の情、古典によって長年にわたりコード化された日本人の季節感、季節が持つ様々なメタファーの体系を否定して純粋な写生に徹したのではなく、それを卑近なあるあるネタを通じて間接的に想起させる方法を見出したことにあったと思われる。
 ただこの古池の句の革新性は、子規だけでなく芭蕉の門人にも必ずしも理解されているわけではなかった。
 『去来抄』「同門評」にある、

 「応々といへどたたくや雪のかど   去来
  丈草曰く、此句不易にして流行のただ中を得たり。支考曰、いかにしてかく安き筋よりハ入らるるや。正秀曰、ただ先師の聞たまハざるを恨るのミ。曲翠曰、句の善悪をいハず、当時作せん人を覚へず。其角曰、真ノ雪門也。許六曰、尤も好句也。いまだ十分ならず。露川曰、五文字妙也。去来曰、人々の評又おのおの其位よりいづ。此句ハ先師迁化(せんげ)の冬の句也。その比同門の人々も難しと、おもへり。今ハ自他ともに此この場にとどまらず。」

の一節は、その不安を的中させている。
 去来の句は、典型的なあるあるネタで、雪が降っていると炬燵から離れるのが億劫だから、人が訪ねて来てもついつい「おうおう」と生返事をするだけでなかなか出ていかない。そうしている間にも訪れてきた客の方は門を叩き続ける。いかにもありそうなことだ。
 ただ問題は、この句が古歌にも詠まれた不易の情を想起させているかどうかだ。そのためこの句が作られた当時でも評価は分かれたし、「今ハ自他ともに此この場にとどまらず」というように、結局たいした句ではないということで忘れ去られていった。
 本人は、

 嘆きつつひとりぬる夜のあくる間は
     いかにひさしきものとかは知る
               右大将道綱母

を踏まえたつもりだったようだが、これは恋の情で、「応々と」からは恋の情は読み取りがたい。つまり古歌の不易の情への連想が働いていない。ただのあるあるネタで終わっている。
 同じ、『去来抄』「同門評」の、

 「時雨(しぐ)るるや紅粉(もみ)の小袖を吹ふきかへし 去来
  正秀曰、いとに寄のたぐひ、去来一生の句くずなり。去来曰、正秀が評いまだ解し得ず。予ハただ時雨もてくるあらしの路上に、紅粉(もみ)の小袖吹かへしたるけしき、紅葉落吹きおろす山おろしの風ト、ながめたる上の俳諧なるべしと作し侍るのミ也なり。」

にしても去来は同じ間違いを犯している。
 「紅粉(もみ)」というのは紅花の染料を揉んで着色するところから来た名で、赤い薄絹は主に女性の着物の裏地に用いる。小袖は当時は綿を入れたりして冬の重ね着にしていたが、その小袖が風に吹かれ、赤い裏地をチラチラさせる姿に、紅粉(もみ)=紅葉(もみじ)の連想が働いたのだろう。古来、

  龍田川錦織かく神無月
      しぐれの雨をたてぬきにして
                詠み人知らず

 のように時雨に紅葉が色づく歌は多く、それは時雨の露が夕日に映えて美しく輝くからで、去来の句はこうした情とはやや離れて、風に小袖がめくれて赤いものがチラチラするのと、時雨に紅葉が染まるのとの類似だけの句になっている。どちらかというと、

 敷島の大和心はチラリズム  会田誠

の情に近い。その意味では不易といえば不易なのだが。
 『去来抄』「修行教」に、

 「牡年(ぼねん)曰、心にとどまる所はみな発句になるべきか。
 去来曰、此内発句に成とならぬは、たとへば
  つき出すや樋のつまりの蟇(ひきがへる) 好春
 此句先師の古池やの蛙と同じ様に思へるとなん。こと珍らしく等類なしと、嘸(さぞ)心にもとどまり、興も有らん。されど発句にはなしがたし。」

とあり、

 つき出すや樋のつまりの蟇  好春

を芭蕉の古池の句とは似て非なるものとして「発句にはなしがたし」と言っている。
 五月雨の雨で樋に大量の水が流れ込んでくれば、そこにいたヒキガエルも突き出されるようにそこをどかなくてはならなくなる。その趣向自体は面白いし、実際にあってもよさそうなものだが、ただこれに繋がる古典作品は思い浮かばない。付け句としてはこれで一つのネタとなっていて問題はないが、発句としては不十分と判断したのだろう。
 ただ、去来の先の二句と比べてこの句が劣っているようには見えない。なぜなら、去来の二句も古歌の情に繋がってないからだ。去来は古歌の持つ深い情を喚起できなくても、単に古歌に似ているというくらいのところで発句と付け句の境を判断している。
 子規も惜しい所までは行った。古典の言葉を通じて古典の情につながろうとするだけでは古典の言葉の通俗的なイメージに縛られてしまい、真情が伝わりにくい。
 「山吹や」ではすぐに古歌が思い浮かんだとしても、ほとんどの人は見たことのない井出の玉川の辺に咲く山吹には、さしたる共感も生まれない。それと同様に、古典の言葉や趣向に基づいて句を作ったところで、今の時代の多くの人が感じている情と程遠ければ共感を得ることは難しい。
 こうした月並を打破しようとした子規の姿勢は間違ってはいなかった。ただ、「古池や」の句は単なる写生ではなく当時の多くの人の共通体験に根ざしていたということと、それがきちんと古典の情につながっているという点にまで思い至らなかったという点で、結局誤解の上塗りをしてしまった。
 今日、確かに古池の句は誰もが知っている。ただそれは教科書に載っていて、試験に出るということで覚えさせられた結果で、この句のどこが名句なのか説明できる人は皆無だ。それは結局近代俳句の敗北といってもいい。近代俳句は古池の句の伝統を受け継げなかった。

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