2017年3月9日木曜日

 古池の句の続き。

 もちろん、「夷狄」に関してはいろいろ問題はあるだろう。四季のある地域で四季を愛さぬ民族はないだろうし、雨季と乾季しかなくても、一年中熱帯雨林だとしても、そこに暮らす人にとって、自然は単なる物理現象ではなく、それは同時に比喩としてその持つ意味が拡大され、自然は様々なメタファーに溢れているに違いない。
 花の心、月の心はおそらく世界どこへ行ってもそんなに変わるものではあるまい。ただ、たまたま日本の春は桜が目立つだけで、西洋人にとってバラは特別な意味を持っているだろうし、お互いの違いを自覚することで理解可能だ。
 同じ日本人でも、地域が違えば咲く花は違うし、時代が変わればメタファーの意味も変容して、我々も江戸時代の俳諧の理解は簡単ではないわけだ。
 こうした民族による違い、時代による違いは「流行」ということで理解できる。同じイギリスからの移民の集団だったアメリカ人も、長いこと離れて暮らしていれば東海岸と西海岸の文化の違いが生じてくるし、方言も形成される。人類の祖先だって、元は一つだったのに、それが世界中に多種多様な文化を生じるに至ったのは、離れた地域でそれぞれに新しいものが作られては流行し、変化していくことで独自の文化が形成され、様々な違いが生じて来たにすぎない。
 世界中の文化を統一して一つのものにすることは、事実上不可能だ。なぜなら人は必ず進歩を求め、新しいものを創造しようとする。新しいものが生まれれば、それが一瞬にして世界中に広まらない限り、ある特定の地域、あるいは特定のネット民の間だけでまず流行し、そこだけで独自な世界が生じることになるからだ。
 世界の文化を均質化させるには、いかなる新たな創作をも認めないような強力な独裁体制で人をがんじがらめに縛り付けるしかあるまい。それも小さな国ならともかく世界全体で行うことはやはり不可能だ。必ずどこかで反乱が起こる。それゆえ我々はどこまでも文化の多様性と付き合っていかなくてはならない。
 人間のあくなき創作意欲は、まず流行という形で現れる。流行の波及には時間がかかるため、それゆえ文化の違いが生じる。文化の違いが生じれば、お互いに自分の所の文化の波及してない人たちをしばしば蔑んでは「夷狄」と呼ぶ。ただ、そうしてお互い自分の文化を自慢し張り合うことで互いに刺激しあって、それが新たな文化の発展の原動力になることもある。だから、こうした蔑視感情も一概に悪い面ばかりでなく、むしろ仲良く喧嘩ができる状態が理想ともいえよう。
 自分たちの文化だけで閉鎖的になれば、それ以上の発展は難しくなる。お互いの文化の良いところを見つけては盗みあうことでまた、文化というのは更なる発展を遂げて行く。
 結局の所、みんなやっていることは同じなんだとわかれば、その「同じこと」が「不易」だと気づくわけだ。それぞれいろいろ違うことを試してはみても、結局はみんな同じ「道」をたどっている。みんな今より良い暮らしがしたいだけだ。より平和でより自由でより豊かになりたいだけだ。それが風雅の心だ。
 「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における」ものも、どれ一つ人を不幸にしようとしてやってきたことではない。みんなより平和で自由で豊かで人間らしい暮らしができるようにやってきたことだ。そして、「俳諧」も当然そのようなものでなければならない。
 さて、土芳の『三冊子』にもどろう。

 「詩哥連俳はともに風雅也。上三のものは餘す所もその餘す所迄俳はいたらずと云所なし。花に鳴鶯も、餅に糞する縁の先と、まだ正月のおかしきこの比を見とめ、又、水に住む蛙も、古池にとび込水の音といひはなして、草にあれたる中より蛙のはいる響に、俳諧を聞付たり、見るに有。聞に有。作者の感るや句と成る所は、則俳諧の誠也。」

 漢詩、和歌、連歌、俳諧はともに風雅である。このうち漢詩、和歌、連歌が扱うことが出来ない題材も、俳諧はすべて取り扱うことが出来る。漢詩、和歌、連歌が扱わない題材、それは日常卑近な題材、卑俗な題材を意味する。その例として土芳が引き合いに出すのが、詩歌連の「花に鳴く鶯」も、

 うぐいすや餅に糞する縁の先  芭蕉

と俳諧の発句に詠み、詩歌連の「水に住む蛙」も、

 古池や蛙飛び込む水の音    芭蕉

と立派な発句になる。
 「花に鳴く鶯」「水に住む蛙」は『古今和歌集』な仮名序の、

 「花に鳴く鶯、水に住むかはずの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」

を踏まえたものだ。
 ここでは古池の句が餅に糞する鶯と並ぶくらい卑俗な、漢詩や和歌や連歌ではありえない卑俗な題材として扱われていることに注意する必要があるだろう。そして、当時としてはそこが画期的だったというのが推測できる。
 確かに、中世の連歌論書『砌塵抄』(著者・成立年未詳)には「水音と云言葉、いやしき也、河音などは可然候」とある。サラサラという河音が風雅なのに対し、ジャボッという水音は、むしろ風雅な雰囲気をぶち壊す雑音だったのだろう。
 こうした語感は時代によって変わってゆくもので、おそらく今日、この音に少しも卑俗な感じがしないのは、むしろ芭蕉の句によって「水音」が見事に風雅の文脈に取り込まれ、万人がそれを認めてきた結果であろう。
 つまり「水の音」はこの句の「俳言」であり、水音の響きに俳諧を聞きつけたことが、当時としては「餅の糞」に匹敵する滑稽と新味があったのだろう。
 もっとも、この句に関しては無俳言を主張する人もいるし、享保十年(一七二五)の支考の『十論為弁抄』には、「古池はつくろはずして俗語」とあり、「古池」を俳言とする説もある。
 ただ、はたして「古池」という言葉に、本来の和歌にはふさわしくないような卑俗さがあったのだろうか。
 古池は「八重葎」や「蓬生」や「夏草」のように荒れ果てた冷えさびた情を喚起できるため、必ずしも風雅の情に反するものではない。
 没落した貴族の荒れ果てた庭に「古池」があってもおかしくないし、左遷で田舎暮らしを余儀なくされたり、出家して隠棲してたりする侘び人が荒れ果てた古池の傍で暮らしてたとしても何ら問題はない。
 本来風雅な響を持たなかった言葉はというと、ジャボッという濁った、それも不意をつくような蛙の水音の方だったと思われる。
 水音が本来持つイメージは、むしろ元禄二年(一六八九)、『奥の細道』の旅の途中で巻いた『山中三吟』(「馬かりて」の巻)の中の曾良の付句、

   鞘ばしりしをやがてとめけり
 青淵に獺の飛こむ水の音      曾良

の方によく現われている。
 「鞘ばしり」は文字通り読めば刀が自然にすべって抜けることだが、前句が「月よしと角力に踏袴ぬぎて 芭蕉」だったことを考えても、これは刀を抜くことをぼやかして言っていると見たほうがいい。「曲者!」とばかりに刀に手をかけると川獺だった、という古典的なギャグだ。水音は不意に生じて、そこには「驚かす」「ヒヤッとさせる」といったイメージが含まれていた。
 芭蕉の古池の句は、その驚きを、荒れ果てた池にも春が来ている、という驚きに転化することによって、「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」(在原業平)の風雅に高められていた。(そのことを曾良も当然知ってて、あえて俳諧の付け句ではそれをパロディーにしてみたのだろう。)
 土芳が「草に荒れたる中より」と言っているように、古池が荒れ果てた草に埋もれたというイメージを持つのは、ごく自然なことだったのであろう。其角も古池の句に、

   古池や蛙飛び込む水の音
 芦の若葉にかかる蜘蛛の巣    其角

という脇を付けている。
 古池の蛙は蜘蛛の巣のはる芦の若葉と同様、荒れ果ててしまい物悲しい中にも春が来ている、というイメージで、そのため本来嬉しいはずの春がかえって悲しくなる。卑俗な水音に、漢詩・和歌・連歌にまさるとも劣らない風雅を聞きつける、それがまさに、「見るに有、聞に有。作者感るや句と成る所は、則俳諧の誠也。」だった。

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