桜も開花宣言前夜となって、世の中は多分三日後には桜哉になっているだろうな。その前に珍しい杏の句を、
杏(からもも)や和尚の前に薬酒 橘之『陸奥鵆』
度々登場する曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には、
「杏花(あんずのはな)〇和名加良毛々[大和本草]其花うるはし。唐音を呼てアンズと云。一種、花紅にして八重なるあり。俗に六代と名く。其木ひくき時、花を見るによし、長じては切べし。平重盛の孫六代、年長じてきられし故に名有。」
とある。和名は「からもも」で「アンズ」は「杏子」の唐音読みと思われる。
平重盛は清盛の長男で、治承三年(一一七九)、四十二歳で死去。
重盛の孫六代というのは、六波羅平家の初代正盛、二代目忠盛、三代目清盛、四代目重盛、五代目維盛と来て、その次の六代目高清(妙覚)のことだという。『平家物語』では幼名の平六代の名で登場したため、六代の名で通っている。出家して妙覚となる。最後は処刑され、六波羅平家は六代で途絶えた。アンズも背が高くならないように剪定していたことから六代と呼ばれていた。
同じく春の季語で「杏(からもも)の粥」というのも『増補俳諧歳時記栞草』に載っている。
「杏の粥 [玉燭宝典]寒食に大麦粥をつくり、杏仁を研(くだ)きて酪とし、餳(あめ)を以て是に沃ぐ。」
とある。寒食は冬至から百五日目に火を使わずにあらかじめ用意した冷たいものを食うという習慣で、旧暦三月の季語となる。
さて、橘之の句だが、杏は日本では実を食べる習慣がなく、花を観賞する他は、種に含まれる杏仁を薬用に用るくらいだった。杏の粥も薬膳だったと思われる。そして、薬用というと薬酒、ということになる。
酒を飲んではいけない和尚さんが、薬だといって杏の酒を飲んでいる。どうりでお寺の庭に杏の花が咲いているわけだ。「和尚の庭前にからももが咲いている、薬酒用か」という意味だと思う。
ちなみに岩波文庫の『増補俳諧歳時記栞草』には、
しほるるは何かあんずの花の色 貞徳『犬子集』
という例句が注として追加されている。
この句は言うまでもなく「杏」と「案ず」を掛けた言葉遊びの句。蕉門の笑いとの質の違いは見ておいていいだろう。
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