今日も寒かったが、3年前のような大雪にはならなかった。今年は関西の方が雪の当たり年か。
さて、「梅若菜」の巻の続き。
二十二句目
汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸
わかれせはしき鶏の下 土芳
(汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸わかれせはしき鶏の下)
伊賀で次に登場するのが芭蕉の俳論をまとめた『三冊子』を書き残すことになる土芳さん。恋に転じる。
鶏の声で急いで帰ってゆくというと王朝時代の通い婚の恋かと思わせて、前句に付くと「汗ぬぐい」という卑近なものがあったりして、これはいわゆる夜這いの句と見ていいだろう。
鶏の声に驚いて退散する男。ただ残していった汗ぬぐいには紺の意図のしるしがあって誰が来たかばれてしまう。
『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)には「賤の女などの恋と付たり。」とあり、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「忘れ物と見て、せはしきとは作れり。余情自知すべし。」とある。
無季。「わかれ」は恋。「鶏」は鳥類。
二十三句目
わかれせはしき鶏の下
大胆におもひくづれぬ恋をして 半残
(大胆におもひくづれぬ恋をしてわかれせはしき鶏の下)
鶏の声での別れから『伊勢物語』の陸奥の国の女の面影に転じる。
陸奥の国をさまよい歩く都から来た男に恋心を持つ女がいて、最初は恋に死ぬくらいなら蚕になるという歌を送る。それを哀れに思って男はそこに「いきて寝にけり」となるのだが、夜更けに帰ろうとするとその女は、
夜も明けばきつにはめなでくたかけの
まだきに鳴きてせなをやりつる
と詠む。
「きつにはめなで」は古い時代には「狐に食めなで」つまり「狐に食はさずに」というふうに解釈されていた。今で言う「恨みはらさでおくべきか」のような言い回しで、「夜が明けたなら狐に食わさでおくべきか」といったところか。
江戸後期になって平田篤胤は「きつ」を水槽のことだとし「水槽に嵌めなで」と解釈したが、芭蕉の時代にはその解釈はない。
「くだかけ」は「朽た家鶏」。「この糞ニワトリめ」といった感じか。
現代語訳すれば、
夜があけたら狐に食わすぞ糞ニワトリ
まだなのに鳴いて彼氏帰らせ
といったところか。
さすがの業平さんも、田舎の女の真っ直ぐな情熱には辟易するという話だ。芭蕉の時代の言葉だと「大胆におもひくづれぬ」ということなる。
『猿みのさかし』(樨柯坊空然著、文政十二年刊)には「伊勢物語の俤にして、二句一意の付也。」とある。
無季。「恋」は恋。
二十四句目
大胆におもひくづれぬ恋をして
身はぬれ紙の取所なき 土芳
(大胆におもひくづれぬ恋をして身はぬれ紙の取所なき)
前句の心をものに例えた付け。一句に恋の言葉がないため恋を離れ別のテーマに転換しやすくなる。
濡れて張り付いた紙ははがそうにもはがせない。そんな恋をしてしまった、と。
『七部十寸鏡猿蓑解』(天堂一叟著、安政四年以前刊)には「比論付と言也。ものにたとへる也。」とある。
無季。「身」は人倫。
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